訪問日 2018年6月3日
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二本松少年隊の像
二本松少年隊(現地説明板転記)
慶応4年7月戊辰戦争の最中、二本松藩大半の兵力が西軍を迎え討つべく出陣し、城内、城下は空虚同然であった。この緊迫した状況の中、少年達の出陣嘆願の熱意に、藩主は止むなく出陣許可を与え、13歳から17歳迄の少年62名が出陣、7月29日城内への要衝、大壇口では隊長木村銃太朗率いる少年25名が果敢に戦ったが、正午頃二本松城は炎上落城した。
この二本松少年隊像は大義の為戦う、隊長及び少年隊士と我が子の出陣服に藩主丹羽氏の家紋、直違紋(すじかいもん)の肩印を万感せまる思いで縫い付ける母の像を表したものである。なおこの地は千人溜といい、藩兵が集合する場所であり、少年隊士もここからそれぞれの守備地に出神した。
二本松少年隊の墓
所在地 二本松市成田町1-532 大隣寺
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