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さいきん少しこわいことがあります。まだ、誰にも言っていませんでしたが。
物忘れが、日に日に激しくなっているのです。。。
あまりに辛い事が立て続けに起きてしまったので、自分を護るために脳が一時的にそのように働いてくれているだけなのかもしれませんが、嬉しい事や日常生活のこと、語彙まで忘れてしまっては困ってしまいます。
ですが、人が忘れる事で脳を整理しながら生きて行く生き物だということは間違いないのです。
この状態が何故なのかはともかく、わたしは今後出来るだけ、日々感じたことや大事だと思ったことを此処に書き留めておきたいと思います。
最近強く感じているのは、自分はとても弱いということ。
それは一つの視点から見たものではありますが、(ある種、とても強いと思う部分もあるけれど)わたしは思考したり、それを言葉に表さないと、不安で不安でしょうがなくなってしまうのです。
そんな自分の心をもし一つの言葉で定義づけるとするなら、『HSP(the Highly Sensitive Person)』でしょう。
HSPについては5年ほど前にこちらの本で詳しく扱っています。
弱さはとても生き辛く、毎日どこかで胸が張り裂けそうな思いもします。
ですが、この弱さを尊いものだと、それは優しさだと言ってくれた人もいます。
そんなに綺麗なものではないのかもしれないけれど、だけれど私は確かに、Sensitiveな分だけ逆に、この世界の純度や美しさにも敏感に気づけているかもしれません。
時折ふと、言い様の無い多幸感が降り注ぐことがあります。
生きていることがうれしい。
この世界がうれしい。
私の周りの環境、
側に居てくれる人達、
好きなもの。
総てが愛おしい。
しかし何故、その想いを常に持っていられないのでしょうか。
思い返すことさえしないのでしょうか。
答えは簡単なのです。
人は、忘れてしまう生き物だから。
それなら少しでも、繰り返したい。
何度でも思い返したい。
わたしはたくさんの人々や物、世界に支えられて生きています。
気づかない内に、数え切れないほどの優しさを貰っています。
どうしてもひとは嬉しかった事より悲しかったことを強く受け取ってしまうけれど、
私もきっとそうだけれど、
それなら少しでも、それを逆にしてしまいたい。
自分を不幸だなんて嘆かないように。
与えられてきた優しさを、噛み締めて。
HIKARI 
物忘れが、日に日に激しくなっているのです。。。
あまりに辛い事が立て続けに起きてしまったので、自分を護るために脳が一時的にそのように働いてくれているだけなのかもしれませんが、嬉しい事や日常生活のこと、語彙まで忘れてしまっては困ってしまいます。
ですが、人が忘れる事で脳を整理しながら生きて行く生き物だということは間違いないのです。
この状態が何故なのかはともかく、わたしは今後出来るだけ、日々感じたことや大事だと思ったことを此処に書き留めておきたいと思います。
最近強く感じているのは、自分はとても弱いということ。
それは一つの視点から見たものではありますが、(ある種、とても強いと思う部分もあるけれど)わたしは思考したり、それを言葉に表さないと、不安で不安でしょうがなくなってしまうのです。
そんな自分の心をもし一つの言葉で定義づけるとするなら、『HSP(the Highly Sensitive Person)』でしょう。
HSPについては5年ほど前にこちらの本で詳しく扱っています。
弱さはとても生き辛く、毎日どこかで胸が張り裂けそうな思いもします。
ですが、この弱さを尊いものだと、それは優しさだと言ってくれた人もいます。
そんなに綺麗なものではないのかもしれないけれど、だけれど私は確かに、Sensitiveな分だけ逆に、この世界の純度や美しさにも敏感に気づけているかもしれません。
時折ふと、言い様の無い多幸感が降り注ぐことがあります。
生きていることがうれしい。
この世界がうれしい。
私の周りの環境、
側に居てくれる人達、
好きなもの。
総てが愛おしい。
しかし何故、その想いを常に持っていられないのでしょうか。
思い返すことさえしないのでしょうか。
答えは簡単なのです。
人は、忘れてしまう生き物だから。
それなら少しでも、繰り返したい。
何度でも思い返したい。
わたしはたくさんの人々や物、世界に支えられて生きています。
気づかない内に、数え切れないほどの優しさを貰っています。
どうしてもひとは嬉しかった事より悲しかったことを強く受け取ってしまうけれど、
私もきっとそうだけれど、
それなら少しでも、それを逆にしてしまいたい。
自分を不幸だなんて嘆かないように。
与えられてきた優しさを、噛み締めて。
HIKARI 
脳科学者の茂木さんが、twitterで善いことを書いてらっしゃったので自分メモついでに紹介します~。
ちなみにこれ、リョヲ丞さんがリツイートしてたことで知りました。こういうところリョヲ丞さんってすごく自分と通じるものあるし好きだなぁと思うのです。
***
『小説フランス革命』を執筆中の佐藤賢一さんと対談したとき、佐藤さんと歴史の話になった。その時のことを、思い出しながら書いてみたいと思う。
人類の歴史は、どのように進むのか? 社会や経済を支配する普遍的な法則に従って発展するという考え方がある。マルクス主義における、プロレタリアートによる革命の必然は、そのような思想の一つだった。
佐藤賢一さんは、歴史に個人を取り戻したいのだと言った。もし、歴史が法則の必然に従って発展するのであれば、個人の役割は無意味になる。そうで はない。私たち一人ひとりの個性が、歴史の帰結に重大な影響を与える。そのような思想に基づいて、佐藤さんは『小説フランス革命』を書く。
フランス革命は、誰もが知るような経緯をたどった。これは、歴史の必然であったか。そうではないと佐藤さんは言う。もし、ルイ16世が、あのよう な軟弱な性格ではなかったら。ロベスピエールが、女性を近づけない潔癖症ではなかったら。ギロチンによる処刑も、恐怖政治もなかったかもしれない。
日本の明治維新も、必然で起こったのか? そうではないだろう。個人の特性が、歴史の帰結に重大な影響を与える。高杉晋作が、坂本龍馬が、あるいは徳川慶喜が、あのような性格で、あのような行動をしていなかったら、日本の近代は違ったものになっていたろう。
長州とイギリス、フランス、オランダ、アメリカの間で起きた下関戦争の後に列強が「彦島」の租借を要求してきた時、高杉晋作が頑としてはねつけて いなかったら、日本は香港のように一部を植民地として失っていたかもしれない。高杉晋作の妥協しない性格が、日本のために幸いした。
もし、坂本龍馬が、人を惹きつけ、人と人とを結びつける共感力と柔軟性に満ちた人柄でなかったら、薩長同盟は実現したか。大政奉還への道筋は開けたか。龍馬という魅力的な人物の存在が、確かに、日本の歴史の帰趨に影響を与えた。
白洲次郎が、終戦後のGHQとの折衝で「従順ならざる唯一の日本人」として誇りを持って対峙しなかったら、マッカーサーの占領政策は変わってはいなかったか? もっと劇的に、日本の伝統は断ち切られていたのではないか。
歴史の行く末が、個人の力を超えた必然的な法則によって決まる。このような考え方は、私たち一人ひとりに無力感を与える。しかし、歴史の実際をさまざまな例に則して見れば、むしろ一人の人物の個性がその発展に重大な影響を与えている。そこに、私たちの希望も不安もある。
私たちは、歴史の必然的発展に翻弄される受動的な存在などではなく、むしろその帰結に決定的影響を与えうる積極的存在なのだと目覚めるべきだろう。また、指導者の選択においても、その人柄が日本の未来に重大な影響を及ぼすという意識をもってのぞむべきだろう。
国の未来という「大きな歴史」に積極的に関われる人は一部かもしれない。しかし、自分の人生、周囲の人々との関係といった「小さな歴史」ならば、 確かに自分の個性を反映させることができる。自分がどんな選択をするかで、人生の「フランス革命」も、「明治維新」も起こすことができる。
歴史を自分からは手の届かない大きな必然として見るのではなく、自分の一つひとつの選択がその帰趨を決する小さな偶有性においてとらえろう。夏が終わろうとしている今、そんなことを想う。
***
これらの茂木さんの言葉に対して、また興味深い返信が。
「「歴史は繰り返される」という言葉は、歴史の法則性を認めたものではなく、歴史から何も学ばず同じ過ちを繰り返す人間の人間への警告だ。」
兼清俊太郎さんという同い年の方でした。一般の学生の方なのかな?
でも発信するツイートがひとつひとつ凄かったです。
とりあえず茂木健一郎さんも含め、twitterをやっている方で気になったという方はご覧になってみたらいかがでしょうか。
HIKARI 
ちなみにこれ、リョヲ丞さんがリツイートしてたことで知りました。こういうところリョヲ丞さんってすごく自分と通じるものあるし好きだなぁと思うのです。
***
『小説フランス革命』を執筆中の佐藤賢一さんと対談したとき、佐藤さんと歴史の話になった。その時のことを、思い出しながら書いてみたいと思う。
人類の歴史は、どのように進むのか? 社会や経済を支配する普遍的な法則に従って発展するという考え方がある。マルクス主義における、プロレタリアートによる革命の必然は、そのような思想の一つだった。
佐藤賢一さんは、歴史に個人を取り戻したいのだと言った。もし、歴史が法則の必然に従って発展するのであれば、個人の役割は無意味になる。そうで はない。私たち一人ひとりの個性が、歴史の帰結に重大な影響を与える。そのような思想に基づいて、佐藤さんは『小説フランス革命』を書く。
フランス革命は、誰もが知るような経緯をたどった。これは、歴史の必然であったか。そうではないと佐藤さんは言う。もし、ルイ16世が、あのよう な軟弱な性格ではなかったら。ロベスピエールが、女性を近づけない潔癖症ではなかったら。ギロチンによる処刑も、恐怖政治もなかったかもしれない。
日本の明治維新も、必然で起こったのか? そうではないだろう。個人の特性が、歴史の帰結に重大な影響を与える。高杉晋作が、坂本龍馬が、あるいは徳川慶喜が、あのような性格で、あのような行動をしていなかったら、日本の近代は違ったものになっていたろう。
長州とイギリス、フランス、オランダ、アメリカの間で起きた下関戦争の後に列強が「彦島」の租借を要求してきた時、高杉晋作が頑としてはねつけて いなかったら、日本は香港のように一部を植民地として失っていたかもしれない。高杉晋作の妥協しない性格が、日本のために幸いした。
もし、坂本龍馬が、人を惹きつけ、人と人とを結びつける共感力と柔軟性に満ちた人柄でなかったら、薩長同盟は実現したか。大政奉還への道筋は開けたか。龍馬という魅力的な人物の存在が、確かに、日本の歴史の帰趨に影響を与えた。
白洲次郎が、終戦後のGHQとの折衝で「従順ならざる唯一の日本人」として誇りを持って対峙しなかったら、マッカーサーの占領政策は変わってはいなかったか? もっと劇的に、日本の伝統は断ち切られていたのではないか。
歴史の行く末が、個人の力を超えた必然的な法則によって決まる。このような考え方は、私たち一人ひとりに無力感を与える。しかし、歴史の実際をさまざまな例に則して見れば、むしろ一人の人物の個性がその発展に重大な影響を与えている。そこに、私たちの希望も不安もある。
私たちは、歴史の必然的発展に翻弄される受動的な存在などではなく、むしろその帰結に決定的影響を与えうる積極的存在なのだと目覚めるべきだろう。また、指導者の選択においても、その人柄が日本の未来に重大な影響を及ぼすという意識をもってのぞむべきだろう。
国の未来という「大きな歴史」に積極的に関われる人は一部かもしれない。しかし、自分の人生、周囲の人々との関係といった「小さな歴史」ならば、 確かに自分の個性を反映させることができる。自分がどんな選択をするかで、人生の「フランス革命」も、「明治維新」も起こすことができる。
歴史を自分からは手の届かない大きな必然として見るのではなく、自分の一つひとつの選択がその帰趨を決する小さな偶有性においてとらえろう。夏が終わろうとしている今、そんなことを想う。
***
これらの茂木さんの言葉に対して、また興味深い返信が。
「「歴史は繰り返される」という言葉は、歴史の法則性を認めたものではなく、歴史から何も学ばず同じ過ちを繰り返す人間の人間への警告だ。」
兼清俊太郎さんという同い年の方でした。一般の学生の方なのかな?
でも発信するツイートがひとつひとつ凄かったです。
とりあえず茂木健一郎さんも含め、twitterをやっている方で気になったという方はご覧になってみたらいかがでしょうか。
HIKARI 
mixiも難しくなってきましたね。
あちらでもなかなか多くを語れなくなってきてしまいました。
別にブログを持とうかとも思ったのですが、やはり思い入れのあるこちらのブログを、今後は主な発信の場にしていきたいと思います。
かなしいことは多いけれど、それよりもすてきなこと、きれいなものでこの世界は溢れてる。
そんな想いをやっぱり忘れずに居たいし、綴っていきたいのです。
ネット社会はやっぱりこわいし好きになれないけれど、それでも私の言葉を求めてくださる人達が居た。
だからまた、戻ってきました。
純度を忘れずにいたい。無くさずにいたい。
わたしがわたしであるために。
HIKARI 
こんにちは。
最近は…ライヴ続きで楽しい毎日でした


そして、第一志望の会社を受けに大阪まで。
ついでにインストに寄って来たり(笑)
第一志望は、無事最終面接まで終わりました。
学校も就職活動も忙しい時期。
ついついライヴも行ってしまうので、なかなか身体が休まりません(苦笑)
でも幸せなのできっと大丈夫。
風邪気味だけれど、酷くならないようにしなくちゃ!
お久しぶりです
ヴィジュアル系の界隈の中での怒濤な動きに目を回しながらも、自分自身も目まぐるしい日々を送っていました。
mixiに書き込むことが多かったけれど、これからはこちらにも書きに来ようかな。
この間描いた、リョヲ丞さん。
そう。何故突然アメブロに戻って来たのかというと、なにやら動きがあるようで、うれしくなってしまったのです。少女-ロリヰタ-23区。
どんな形でも、応援したいと思います。
リョヲ丞さんには本当に救われて来たから。
わたしは利口とは言えない生き方をしているけれど、それでもわたしを救ってくれた大好きなもの達に少しでもお返しの出来る人間になりたかった。
今、それがすこーしずつではありますが、叶いかけているかもしれません。
人生を投げうることではなくて、平行線で共に違った人生を歩み夢を追うというのも、きっとしあわせなことだとは思う。
あなた達とわたし達の夢が、どうか叶いますように

ヴィジュアル系の界隈の中での怒濤な動きに目を回しながらも、自分自身も目まぐるしい日々を送っていました。
mixiに書き込むことが多かったけれど、これからはこちらにも書きに来ようかな。
この間描いた、リョヲ丞さん。
そう。何故突然アメブロに戻って来たのかというと、なにやら動きがあるようで、うれしくなってしまったのです。少女-ロリヰタ-23区。
どんな形でも、応援したいと思います。
リョヲ丞さんには本当に救われて来たから。
わたしは利口とは言えない生き方をしているけれど、それでもわたしを救ってくれた大好きなもの達に少しでもお返しの出来る人間になりたかった。
今、それがすこーしずつではありますが、叶いかけているかもしれません。
人生を投げうることではなくて、平行線で共に違った人生を歩み夢を追うというのも、きっとしあわせなことだとは思う。
あなた達とわたし達の夢が、どうか叶いますように











