仕事してるいつもの夢。父からの留守電が自動再生される。「面会出来るようになったって」明るい声。私は(忙しくてそれどころじゃないよ)と思っている。そこで目が覚めた。ウワーッと感情が乱れて、飲み込んで朝支度して仕事に行った。


まだ父が亡くなった実感がわかない。まだケアハウスに居て、いつもの何だか分けわかんない電話かけてきて、グダグダお喋りしてる気分だ。声が明るかった。もう面会にはいけない。


墓参りに行かなきゃ。

久しぶりにAmeba来てみたらログイン出来ない。はぁ!?って感じ。もう書くの諦めるかと思ったらログイン出来た。でも書くこと忘れた。だめだこりゃ。

なんだか泣きたい。何か泣ける映画とか観に行く予定だったけど、忘れて母の所へ様子見に行ってしまった。


母は長年の真言宗から浄土真宗(西)に改宗した。


信じる人は、信じたいから信じるんだなぁ…と母を見ていて改めて思う。本人が納得して信じられると思って信じるならいいんじゃない?

それを第三者に押し付けるのは違うんじゃない?ましてや幼い子に暴力や恐怖で刻み込むのは「信じる」とは違うんじゃない?とも改めて思う。


「じゃあ、私は何を信じたらいいのよ!」って言われたけど、何を焦って信じるモノをさがしてるのか私にはさっぱりわからない。私がサイコパスだからかな?


安倍晋三さんがああいう亡くなり方をしたのも母は当然だと言う。私はそうは思えない。でも祖父の代から新興宗教団体に関係があって、トンネルもこの方が推奨していたと言う。初耳。裏で悪いことばかりしてたから、あんなことになったと言われ私の頭の中は???でいっぱい。


信じるって怖いね。私はどちらかと言うと仏教より神道かな?母に言わせると神道より仏教の方が永く日本に根付いてるって。チベット仏教は歴史長いだろうけど…とか話してた。まぁそんな話したくて行った訳でも無いんだけど。

信じたいならお天道様でも家族でもいい気がするけどね。


私の解釈では、仏教とかは「こうすればこうなる」みたいなやつで、(因果応報)神道は「これもあればあれもある」みたいな感じ。だからどうしよう?の根本が違うかな?神道知らないけど。


50年くらい前は「右向け右」ができない人が居るってわかってて、それを出来るようにするにはどうしたらいいか?を考え実行し成功させるよう努力したし、基本「右向け右」って皆がみんな出来るもんじゃないってわかってる「個性」があった気がする。


今は無い。「右向け右」が「出来る人」だけが居る世界線で「出来ない人」をふるいにかけてるだけ。


LGBTQも個性も昔から日本にはあるモノを「無かった」事にして、「権利を!」とか言ってるのを見てると頭痛い。キリスト教とか入って受け入れてからでしょ?なんか世界と足並み揃えようみたいなんでやり始めたの。それで日本っていう個性失くしちゃたら意味ない気するけど。


…何だか頭の中ぐちゃぐちゃ。何言いたいかわかんない。