フーテンの無職 〜無職の大将放浪記〜

フーテンの無職 〜無職の大将放浪記〜

日本社会のレールから外れて、気の向くまま風の向くままプラプラと、あてどもなく彷徨う。そんな刹那的な人生を邁進中。


人生、酒と旅と本があれば、それで良い・・・

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 気づけばもう5月も終わり。いよいよ6月へと突入し、2022年もはや半分近くが過ぎ去ろうとしている。今年のゴールデンウィークは地元に帰省してノンビリとしたひとときを過ごしたあと、5月の半ばに土日を利用して1泊2日で東京に行ってきた。東京は年末年始以来、約4ヶ月半振りである。








 今回、東京にやってきたのは、上野の東京都美術館で開催されている「スコットランド国立美術館 THE GREATS 〜美の巨匠たち〜 」展を観るためである。これがけっこう楽しみで、ずっと心待ちにしていたのだ。外は生憎の雨模様だが、館内にいるうちにある程度は回復するだろう。特に予約はしてないが、開館前に到着すると当日券で朝イチで入ることができた。









 今回の美術展は、ルネサンスやバロック、または18〜19世紀の絵画の巨匠たちの描いた作品群が贅沢に集い、それを観る者の目を存分に楽しませてくれる。ラファエロ、エル・グレコ、ベラスケス、レンブラント、ブーシェ、モネ、ゴーガンなどの作品が目玉として挙げられているが、中でも特に私が楽しみにしていたのはジョン・エヴァレット・ミレイの「古来比類なき甘美な瞳」であった。











   「古来比類なき甘美な瞳」(1881年)

     ジョン・エヴァレット・ミレイ




 本当に一目惚れと言っても良いほどに見た瞬間に心惹かれてしまった。モデルは当時の子役俳優ベアトリス・バックストンである。ミレイが彼女の両親をなんとか説得して絵のモデルになってもらった、と解説文には書かれていた。当初は作品のタイトルは「スミレの花を持つ少女」であったが、後にミレイ自身で「古来比類なき甘美な瞳」というタイトルに変更したという。


 只々、まことに「美しい」のひと言である。純粋な、純朴な透明感のある美しさ、あるいは自然体の美しさ、とでも言おうか。特別に何か着飾っているわけでもなく背景もほぼ無きに等しい、ありふれた日常のワンシーンを切り取ったような素朴な情景である。しかしだからこそ、その少女の持つ本来の美しさが際立つのかもしれない。解説によると「摘み取られたスミレの花と共に、成長していく少女の純真さと儚さの輝きを表現している」とあるが、なるほどなあと思う。



 私は今回この作品にすっかり惚れ込んでしまったので、美術展を観終えたあとに、ついグッズ売り場で額縁入りの複製画を購入してしまった。一番小さいサイズで送料・税込みで12,800円ナリ。立体複製でその画家のタッチや繊細な色使いを「アルゴグラフ」という技法で再現しているそうで、UV硬化されたインクを使用しているので紫外線に強く強度もあり、直接絵に触れて楽しむこともできる、とある。





 複製画にはモネやラファエロ、ゴーガン、ヴェロッキオなどの複数の作品があったが、中でも一番売れているのが、このミレイの「古来比類なき甘美な瞳」なのであった。やはり皆、この絵をみて感じるものがあるのだろう。そういえばこの作品のポストカードも既に完売していた。


 この複製画は受注生産らしく、到着は2ヶ月後になるとのこと。今からとても楽しみである。この複製画は約30年以上は劣化しないとのことなので、この絵とは今後の人生において末長いお付き合いになりそうである。どうぞ宜しくお願い致します。しかしこんなもの一体どこに飾るのだ。だがまあ、そんなこまけぇこたぁいいのですよ。「絵のある人生」。それでいいのだ。






 もちろん、他にも色々と印象深い作品があって、それぞれの名画の鑑賞をじっくりと楽しむことができた。おそらく今回の催しのなかでも筆頭なのは、この17世紀はスペインの宮廷画家、ディエゴ・ベラスケスの「卵を調理する老婆」という作品だろう。





 この見事な質感と立体感に富む、「料理」というぬくもりのある場面を描いたベラスケスは、当時なんと19歳という若さである。17世紀当時のスペインではこうした台所や居酒屋などの情景を描いたボデゴン(厨房画)という絵画スタイルが流行していたようだ。こうした庶民の日常的な生活風景を描いた作品は、当時の生活ぶりを知る上でも貴重な資料になるし、なにより想像力を刺激されるので観ていて飽きがこない。









 こちらは、19世紀のスコットランド出身の画家フランシス・グラントが結婚直前の愛娘を描いたグラントの代表作、「アン・エミリー・ソフィア・グラント("デイジー"・グラント)、ウィリアム・マーカム夫人(1836-1880)」。この作品も実はかなりのお気に入りで、暫しその場に佇んでついつい目が離せなくなってしまった。この絵はかなり巨大で存在感のある作品である。





 白い雪景色の中で、黒と赤の衣装を身に纏い、スッと正面を見据えて自信に満ち溢れた表情をしている。この作品は画家グラントの中でも特にお気に入りだったらしく、生涯、自身が亡くなるまでずっと身近に置いていた作品であるという。


 この絵も、「古来比類なき甘美な瞳」に次ぐ、今回の私の特にお気に入りな作品であったが、残念なことに期待を込めて向かったグッズ売り場にはポストカード1枚すら存在しなかった。…一体なぜなんだろう? こんなに見事でスンバラシイ作品なのに。






 この絵はジョン・マーティン作「マクベス」。マクベスは言わずと知れたシェイクスピアの戯曲のひとつで、これも私がなかなか目を離せなかった作品のひとつであった。マクベスはスコットランド軍の勇将であり、この絵はノルウェー軍を打ち破ったマクベスが凱旋の帰路にあるシーンを描いたものである。





 このなんとも荒涼とした無慈悲にも思える荒々しいタッチが、今後のマクベスに待ち受ける波乱に満ちた生涯を予感させる。しかし、当のマクベス自身はまだそのことには気づかずに、意気揚々と戦の勝利に酔いしれている。こんなにドラマチックで迫力のある壮大な風景を描いた作品にはなかなかお目にかかれないな、とそのとき思った。この絵もかなり気に入ってしまったので、嬉々としてポストカードを買ってしまった。





 そして、こちらはイギリスの画家ジョン・コンスタブル作の「デダムの谷」。このコンスタブルは、自然を見たままに、あるがままに描くことで有名な風景画家である。…が、その緻密さ故に絵としての情報量が圧倒的に多く、インパクトがある反面、見ていてなんだか疲れてしまう絵でもある。


 だがまあ、作品としては存在感があるし、ポストカードサイズだと丁度いい感じなので、これも追加で1枚買ってみることにした。







 あとは「卵を料理する老婆」と、ラファエロ・サンツィオ作の《「魚の聖母」のための習作(1512-1514年頃)》も買って、これでお楽しみのポストカードもバッチリである。今回、売り切れで買えなかった「古来比類なき甘美な瞳」は、後日メルカリでポチろう。メルカリって結構便利ですね。実はワタクシ、最近メルカリにハマっちゃっております。掘り出し物を見つける、あのお宝探しの感覚が楽しいんですね。







 …いやあ、今回の美術展はかなり充実したひとときを過ごすことができた。美術館には約2時間半ほど滞在しただろうか。外に出てみると雨はすっかり上がっていた。ちょうどお昼時だしハラも減ったので、ちょっとアメ横で小腹でも満たしていくことにした。





 そんな時のアテは、いつも決まって上野に来るたびに訪れる中華屋台の「平成福順」である。ここに来るといつも必ず小籠包とマーラータンを頼んでしまう。今日はとても気分が良いので、ついでに奮発してアサヒ生ビールも注文してしまう。





 いつ食べても飽きない味、平成福順のマーラータン。雨上がりとはいえ気温は26〜27度まで上昇している。しかしこのアツアツの辛口マーラータンが食べたくて食べたくてたまらないのだ。好きなものって、ホント何度食べてもまったく飽きないですね。うめぇうめぇと唸りつつ瞬く間に全部平らげてしまった。












 さて、お次に向かったのは中野セントラルパークである。ちょうどこの日は『四川フェス2022 〜麻婆豆腐商店街〜』が催されており、本場四川にある名店の麻婆豆腐が各種味わえる。まこと麻婆豆腐に目がない私にとっては、これはまたとないビッグイベントなのであった。














 それにしてもすごい混みようだ。各種麻婆豆腐のほかに、なんと青島ビールまで販売している。値段はどれも500〜600円からで、多少割高感はあるものの、まあこれに入場料等も含まれるのだろう。





 周囲を観察してみると、みんな案外ちゃっかりしたもので、コンビニ袋を持参してビールやらチューハイやらを持ち込んでいる。どうやらみんな考えることは同じなようで、うまい麻婆豆腐をアテに、めいめい思い思いの場所に腰掛けて軽い宴会気分を楽しんでいる。ああ、いいねえ〜。この緩やかな縁日気分。





 さて、と。私も負けてはいられない。缶ビールがぬるくならないうちに、早く麻婆豆腐をゲットしてどこかで一杯やらねば。しかし、それにしても麻婆豆腐の屋台は十数店舗もあって、どれにしようか迷ってしまう。それにどこもすごい行列である。


 ここはひとつピンポイントで攻めたほうが良さそうだ。私はその中から2店舗を選んで麻婆豆腐を食べ比べてみることにした。





 ひとつはこの創業1862年「四川麻婆豆腐発祥の店」と言われる『陳麻婆豆腐』。やはり麻婆豆腐フリークとしては、この本家本元の伝統的元祖麻婆豆腐はぜひとも一度は味わっておきたいところである。『全ての麻婆豆腐はここから始まった』などと書かれては、もはや食べないわけにはいかないではないか。ここは当然のごとく大人気の大行列店舗であった。





 そして私がもうひとつ選んだのは、比較的空いていたこの「料理上手な四川女性が作る郷里の味」と謳われる『香辣妹子(シャンラーメイズ)』。なんでも中華フードコートで大人気らしく、四川省成都の有名ホテルで親子3代で培った「四川そのまま」の味がウリのようだ。





 この「フードコートで大人気」のあたりで客足を逃してしまっている気配がするのだが、私にしてみれば実はそこが狙い目で、その「ローカルテイスト」とでも言おうか、 "四川の人々が日常的に親しんでいる飾らないフトコロの深い味わい" が欲しいのだ。


 海外を旅していて「食」で興味があるのは、レストランなどのお上品な余所行きの味よりも、その土地の人々が毎日毎食食べているようなローカルフードの味わいである。そしてそれらを口にしてみると、その土地の風土や気候に適していて実際にとてもおいしく感じるのだ。


 私はやれ"グルメ"だの"ミシュラン"だのというのはあまり信用していない。「食通」だの「美食家」だの「美食の権威」だのというものの必要性も感じない。味覚なんて所詮は主観的なものに過ぎないのだし、そんなものに順位づけするなんて横暴もいいところである。まあ結局のところ、あれは単に札束にソースをかけて食ってるだけなんでしょうなあ、ああいうのは。








 閑話休題。なんとか首尾よく麻婆豆腐をゲットすることができたので、適当な場所を見つけてさっそくコイツで一杯やることにした。…フフフ、このときのために、ちゃあんと事前にコンビニでアサヒスーパードライ生ジョッキ缶を3本も仕入れてきたのだ。


 このアサヒの新商品、なんでもお店の生ジョッキのような泡を楽しめるとのことで、今回の麻婆豆腐での乾杯用に奮発して買ってきたのだ。これでめくるめく陶酔の世界への準備は完了である。



 …さあて、それではさっそくプシュッといきますか‼︎






 …だがしかし。この生ジョッキ缶とやら、なんとプシュッと開けたらシュワワワワワワ〜〜〜ッ‼︎ と豪快に泡が噴き出して、みるみるうちに缶の約3分の1ほどが地面に噴きこぼれてしまった。


 …一体何なのだ⁉︎ コレは‼︎ …ちくしょう!ハメやがったな、アサヒビールめッ‼︎  3缶とも全部派手に噴きこぼれやがったではないか。…なんだか思ってたのとマッタク違う展開なのだが、これはこういう噴きこぼれゆく泡を楽しむ商品なのだろうか? …だとしたらアサヒもずいぶんと冒険をしたものである。少なくとも私はもうコレを2度とは買わないだろう。





 とまあ、そんな具合ではあるが、ではさっそくお楽しみの麻婆豆腐をまずはひと口。これは「香辣妹子」の麻婆豆腐ですね。…うーむ、山椒がビリリと効いていて、しかも見た目どおり濃厚で重量感のある辛味が舌の上全体に主張してくる。これは確かに本場四川で口にした本格的な味わいである。さすがは「香辣妹子」、親子3代で良い仕事をしているのだ。





 コレコレ、こういうのですよ、本格的麻婆豆腐というやつは。今回の四川フェスに於いての、この「500円」という「ワンコイン」ながら「食べきりサイズ」などという、しみったれたケチくささを肯定的表現においてゴマカしているのがまるで気にならなくなるほどの濃厚で納得のいく味わいだ。


 こうなると本格的に白飯が欲しくなってくる。麻婆豆腐はこの濃厚な辛味を白飯でハフハフと中和しながら食べる組み合わせが最高なのだ。…だがしかし、この麻婆豆腐フェスに来るようなマーボーフリーク達はそんなコトはすっかりお見通しのようで、別売りの白飯も同時に買い漁っているらしく、白飯単体はすっかり売り切れ模様であった。





 やっぱり麻婆豆腐といったら、アツアツの白飯がセットで欲しいよなあ。。。などとボヤきつつ、今度は本家本元伝統的元祖麻婆豆腐である「陳麻婆豆腐」をパクリとやる。「香辣妹子」と比べると、豆腐の形といいツヤといい、その濃厚な色合いもあって実に美味そうである。










 ……。









 ……うーむ。









 …ウーム。ちょっと、油が多すぎるのかなあ。

ワタクシ個人の味覚的には、先ほどの香辣妹子の麻婆豆腐のほうに軍配が上がりましょうか。たぶん辛味も十分にあるのだろうけれど、そのドロリとした油の中にシャープな辛味がマイルドに分散されてしまっている感じ。ああ、なんだか表現的に長たらしくてウザったいですね。


 でもいわゆるその"食レポ"とか"グルメ気取り"なんて、まあミシュランなんかもだろうけど、総じてそういうレベルに過ぎないような気がする。ニンゲンが本当にうまいものを口にした瞬間って、総じて「…。」と、無言になるのではないだろうか。無言でバクバクと勢いよく貪るように食う、コトバによる表現などというもの以上に、野性的な、動物的な本能が刺激されるのではないか、と思うのだが。動物って、ほら、大好物を食べているときは、ただただ無言で貪りますからね。





 うまいものの表現なんて、ほんとシンプルにただ一言「うまい!」だけで十分なように思う。ニンゲンって想像力の豊かな生物だから、「うまい!」のひと言で、これまでの自分の味覚や食べてきた味などの経験を総動員して、自分にとっての最高のうまそうな味を口の中で再現して生唾ゴクリ、とやってしまうんじゃないだろうか?