【私は私が嫌い】 | かわむらともこの「しなやか」な生き方ブログ

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「しなやか」な生き方に
ついてゆるふわに語るブログです。

『私は私が嫌い』

コレはスタジオジブリ作品の映画
「思い出のマーニー」のキャッチコピーです。

テレビのCMでこれを見た時、
全身の動きを止めて
胸の鼓動がはやまる自分自身を
深く感じました。

なんでこのコピーが
しっくり感じられるのだろう…。

実際に映画も見ましたが
内容はさほど自分の胸に響くものでは
ありませんでした。


こたえは別の映画に隠されていました。



「嫌われ松子の一生」



という映画です。



家でゆっくり映画を見る環境には
ないので、外出時の移動中に
iPadで鑑賞することが多いのですが



その日は友達の祝勝会で
東京駅から中央線で日野まで向かってました。


生理前、という精神的にセンシティブな時に
胸を深くえぐられる内容だったので
嗚咽を漏らしそうなぐらい中央線の中で
号泣してしまいました…。


せっかくのお祝いの席の前に
私はなんてものを観てしまったのだろう…

激しい後悔です。


会の途中までは何とか冷静さを保っていた
ものの、みんなと別れ、一人になった時には
感情を抑えきれなくなってしまい


友達には体調が今ひとつであったことを
詫びると共に自己否定感が止まらず
相手はそんな言葉を望んではいない、と
分かりつつ
支離滅裂な発言をLINEで繰り返していました。


次の日もかなり体調は優れず
身体の中に激しい暴風雨が
荒れ狂うようにアンコントロールな
状況が続きました。

それでも私の中に居る、強い味方が
私を一生懸命助けるために
制御を促して沈静へと導くのでした。

「嫌われ松子の一生」は

ただただ愛されたい、周囲に認められたい、
そんな思いで起こした行動が全て裏目に出て
非業の生涯を遂げる、という内容のお話です。

あまりにも自分がそれまで抱えてきた気持ちに
シンクロニシティしてしまったのですが

唯一違うのは
私には私を守る強いブレーン、
「伊佐坂さん」と私は呼んでいる人が
居たことです。

とあるセミナー受講で気づいた気づきなのですが


私の弱い部分は子宮を司る「イブ」という思考。


心理学的に言うと恐らく
アダルトチルドレン。


ここに強く「私は私が嫌い」が現れています。


経験を積み重ね、どのように
自分の中で気持ちを整理すればいいかを
繰り返しているうちに生まれた
アダルト、頭脳派の「伊佐坂さん」

私、という人物は大きく言いますと
「イブ」と「伊佐坂さん」との
バランスで成り立っています。

(細かく言うともう少し分類する人格も
居るのですが…)

どうしても生理前のホルモンバランスが
崩れると、「イブ」が激しく自己主張を
してくるのです。

このことでしてきた失敗はたくさんあります。

特に男女のお付き合いにおいては
男の人にない感覚なので
言葉にしてみても理解してもらえることは少なく

男の人からしたらワガママに感情を
ぶつけられてる、という感覚しかないんだと
思います。

いずれは

「俺ではお前を守れない」

「一緒に居ることで笑顔が失われるならもう
一緒に居る意味がない」

相手を気遣う風にそれなりの理由をつけては
別れを告げられる。

というパターンはまぁそれなりに…。

男の人は恐らく精神的には女の人より
弱い生き物なんだと思ってます。

男の人だって実は守ってもらいたいと
思う部分もあるのに

キーキーキャーキャーギャーギャーが
続くとまぁ大概はいわゆる「2年」と
言われる恋心エンプティ時期には
冷えた関係となっていくのはかなり
分かりやすい話ですね。

そんな時も「伊佐坂さん」は
私を客観視し、良かった点、反省点、
これからの課題、

いわゆる「PDCA」ですね。


どれだけ真面目なの?どれだけ真摯なの?


自分だから、といったらそれまでなんですけど
見捨てることは決してなく


名監督としてプレイヤー部分の私を
支え続けてきてくれます。

優秀な「伊佐坂さん」によって
幼い頃のトラウマは客観的に検証され
昇華をさせたハズなのですが


まぁホント、反比例するように
「伊佐坂さん」が優秀であればあるほどに
「イブ」のしつこさは『女の執着』そのものの
存在なので


いまだ『閻魔帳』を抱えては
ギャーギャー言い出す厄介な存在なので
あります。


「伊佐坂さん」は
本当に優秀なジェントルマンなので
この本当にじゃじゃ馬の「イブ」が
可愛くて仕方ないのです。


それは自分の真逆に対峙する「伊佐坂さん」に
ない全てを「イブ」が持っているからに
他ならないのです。


私がいまだに「私が嫌い」を
繰り返していることも


究極にわっっっかり辛い「伊佐坂さん」への
愛情表現なんだと理解しています。