映画「立候補」はなかなか印象深かった。マック赤坂のぶっ飛び具合が面白い、というのもあるし、いわゆる泡沫候補とは言え皆何らかの主張をしたい・社会を変えたいと志して立候補した「本気」の人達であるという点には、考えさせられるものがある。
候補者ではない町の人(演説中の通りすがりや、あいりん地区のホームレス)へのインタビューで、選挙で社会は変るか?という質問に、変わるという人も変わらないという人もいたし、また、躍り続けるマック赤坂に「躍ってないで中身のある主張をしろ」と怒鳴るおじさんも映っていたが、いずれにしても立候補までした彼等は、傍観者として評論するそういった周囲の人たちよりは、行動を起こしたという点で尊敬すべきかもしれない。
ただ、彼ら候補者が「本気」であることは分かるのだが、どうしても解せないのは、選挙で「○○は腹を切って死ぬべきである!」と叫んだり(又吉イエス)、マラカスとタンバリンを持って踊り狂ったり(マック赤坂)、鎧兜姿で演説したり(羽柴誠三秀吉)、それでいつか民衆が支持してくれると信じていることだ。本当に自分の主張を実現させたいなら、他に方法あるんじゃないかなと…。
物事何にでも、目的を達成するためにうまく物事を進められない人はいるもので、泡沫候補のことを考えると、いつもホリエモンと楽天三木谷社長を思い浮かべてしまう。
どちらもIT企業を立ち上げて一代で上場まで持ってきた凄腕起業家であり、ほぼ同じタイミングで野球球団を持つことを目指しながら、かたや「ザIT企業の社長」みたいな振る舞いで既得権益から嫌われて球団を持つことかなわず、挙句の果ては「権力」の最たるものである検察から目をつけられて逮捕されたホリエモンと、スーツを着て根回しして球団を手に入れ、さらっと経団連という既得権益側から抜けて新しく自前の経済団体を立てておいて(新経済連盟)、首相と会ったり参院選で立候補者を応援したり(民主党だったから落選したけど)している三木谷社長。
ホリエモンも三木谷社長も、ただ金儲けしたいだけの経営者じゃなくて、何らかの志は持っている人だ(と思う)けど、やり方ひとつでこうも印象が違う。同じ時間に同じ場所で演説しようとして、帰れ帰れの大合唱を受けるマック赤坂と、熱狂を持って迎えられる橋本市長や安部首相も、同じ構図に思える。
とはいえ、泡沫候補であろうと有力候補であろうと、選挙に出るということを通じて行動を開始した点では同じだ。世の中を変えるのは、選挙に出ることだけでしか実現できないわけではないが、自分も傍観者ではなく行動する側でありたいものだ。



