2013年10月2日朝
会社に出勤してから昨日の乳がん疑惑事件について上司へ報告しました。
上司:「あれ?胃カメラの予約じゃなかった?」
私:「そうなの~実は病院のロビーで乳がん検診のポスターを見かけて・・・」と昨日の状況を一部始終報告。
上司:「マジで!しこりって・・・来週は8日?朝から休んでいいから」とのこと。
私:「乳がんだったら・・・相談します」と言って割と軽~い感じで報告は終わりました。
この当時は『たぶん黒だろうな~』と思いつつも確定はしていなかったので余り深くは考えませんでした。
黒の宣告をされる前に色々悩んでも・・・鬼が笑う!
その後7日までは普通にお仕事をしていました。
いよいよ8日、朝から病院へ行きました。
ほぼ予約時間通り呼ばれて診察室へ・・・
K先生は少し深刻な顔で「先に結果からお知らせします、残念ながらしこりは悪性でした」
私:「そうですか・・・それで今後の治療計画を教えてください」
そう、私は思いのほか冷静でした…冷静でいられる色々な要因はまた別の時に。
K先生:「5~6㎜のしこりだから温存手術、後に放射線という治療計画です・・・」みたいな説明。
(後から分かったことなのですが、このK先生・・・理路整然と説明するのが苦手(笑))
私としては、医学的に詳しく説明をしてほしかったのですが、結構な割愛?をされた感がてんこ盛りでした。
(後で聞いたら、今時の患者さんはネットでかなりの情報を収集してくるから、私も乳がんの情報通?だと思っていたらしい(笑))
当然、私の眼に映ったK先生はちょっとNG。
私の心の声は『このK先生は頼りになる?・・・がんなんて恐ろしい病気の治療について簡単な説明で良い訳ないじゃん!・・・私はこの先生に全幅の信頼を寄せることができる?・・・NOかも』
(もちろん後から一番信頼できる先生になったのですが・・・この時はね(笑))
それに今どきセカンドオピニオンも受けずにがんの治療をするなんて、私の中には『なし』でした。
私:「他の医師の意見もお聞きしたいのでセカンドオピニオンを受けてもよろしいでしょうか」
先生:「いいですよ~、紹介状を書きますから医大でもがんセンターでもお好きなところを選んでください」
私:「う~ん、どこに行くかは後でお電話します。どうせ1年に1㎜くらいしか大きくならない腫瘍なら、あと1か月くらいは猶予ありますよね?」
先生:「大丈夫だとは思いますが・・・遅くても年内には手術することをお勧めします」
私:「わかりました、後ほどお電話します」
というような会話をして、私は病院を後にしました。
乳がんの告知をされた私・・・とうとうこの日が来ましたか~というのが本音でした。
私は両親を早くにがんで亡くしておりますし、親類縁者にもたくさんのがん患者!・・・遺伝的なものなのかしら
若い時から自分もがん患者になるのかな~と・・・ある程度漠然とではあるが覚悟はしていました・・・ので、告知でパニックなどにはならなかったです。
&ある程度の覚悟は年月とともに、“自分ががんになったときは病気と闘う”という心を育てたこともありますね。
病気との闘いに勝つには・・・相手は何者?勝つためにはどんな戦術設定が必要?・・・そうだ、乳がんの情報をめーいっぱい集めないと!
告知後、私の頭の中はフル稼働だったと思います。
ネット検索もすごく大切ですが、私が病院を出て一番先にしたことは、医療関係(医師・看護師)の友人全員に「乳がんになった!治療について意見がほしい」とメールを送りました。
そうです、私は医療従事者の友人が多いのです。
病気になったとき、彼・彼女らの知識やネットワークは本当に助かります!
そのあと会社へ電話連絡をして、「やはり乳がんが確定しました!今後のことを検討しますので、明日も一日お休みさせてください」とお願いをして、とりあえず自宅へ戻りました。
乳がんかぁ~自分が罹ると予想していたのは胃がんか大腸がん・・・意外だわ・・・
次回は乳がんの情報収集&セカンドオピニオンです。
