その活動の背景にあるのは彼らの主張する所でもありますが、今のままでは自民党を中心として憲法9条が改正され、戦争が行われるようになり、信教の自由が無くなり、過去の過ち(天皇崇拝や迫害など)を繰り返す事になるという事です。それを未然に防ぐ為に今叫ぼう!と彼らは主張します。
まず、彼らの主張ですが憲法9条改正=戦争という短絡的な考えが垣間見られます。また、仮に戦争に巻き込まれる結果となったとして、それが「クリスチャン」として何の関係があるのか私には分かりかねる所があります。現にキリスト教国で戦争を行っている国は沢山あります。アメリカなど最たるものでしょう。
戦争が起きたらクリスチャンではなくなるのですか?戦争の中に「福音」は無いのですか?私は決して戦争を肯定しているわけではありませんが、「憲法9条が無くなったら、戦争に巻き込まれたら終わりだ」と考える彼らの考えはとても不思議に感じます。
では、彼らは何が終わると感じているのでしょうか?彼らは何を恐れているのでしょうか?それは結論を述べれば迫害でしょう。9条が改正されて戦争が起き、信教の自由が無くなり、キリスト教が排除されるという事を恐れているのです。端的に言えば、「迫害が恐いから反対!」なのであり、「戦争反対!憲法改正反対!」ではないのです。
さて、戦争が起きると迫害が起きるという思考も短絡的だと思いますが100歩譲ってこの日本でクリスチャンの迫害が起きるとします。それだとしても、「だからこそ今から反体制運動を行うべき!」とは私は考えません。
一体彼らは聖書を読んでいないのでしょうか?戦争の噂を聞いても慌てるなとイエスご自身が述べているではありませんか?戦争は必ず起こるものとはっきり書かれています。また、キリストに従うならば迫害は必ず受けるとも書かれています。なぜ、迫害が起こると終わりなのですか?何が終わるのですか?
厳しい事をお伝えしますが、それはあなたの信仰の問題ではないのですか?それを国家の問題かのように活動を行うのはなぜですか?自分の信仰の弱さを認めたくないからではないのですか?
牧師がこうした活動、反体制運動を行っていると聞いた時、呆れて物が言えませんでした。しかも一人二人の話ではありません。もっと言えば教団をあげて活動を行っている組織もあるという事です。本当にがっかりしました。そうした反体制運動を行うからこそ迫害されるのではないかとさえ思います。彼らが恐れている迫害は彼ら自身が引き起こしているのです。
「過去から反省し、同じ過ちを繰り返さない!」と、彼らは何度も主張します。しかし、過去のキリスト者の過ちとは、戦争への反対運動を行わなかった事ではありません。天皇を神として認め、偶像礼拝の過ちを犯した事に他なりません。反省するならば、「どんな迫害が起きようとも屈しない強い信仰を持とう!」という事であり、教団をあげて反対運動を行おう!ではないのです。
戦争の起きている国にも迫害されている国にも福音は生きています。戦争や迫害が福音を「終わり」とするのではないのです。戦争だろうと迫害だろうと私たちのする事は変わりません。それは反対運動に参加する事では無く、今日も明日も変わらないキリストを慌てる事なく恐れる事なく、大胆に宣べ伝えるだけです。皆様の信仰が明日の選挙結果に左右される事の無いようにただただ祈るばかりです。
