2012年を迎えました 昨年はいろいろと甘えがでてしまい、自分の計画に対して、思うようには歩まなかったと思っています。今年も、昨と同じ轍を踏まないようにするためにはどうしたらいいのでしょう
昨年の反省点として1.目標設定があいまい 2.その日の計画をたてずにずるずる1W,1ヶ月を過ごしたした。3.小さなことと思えることをおろそかにした(例えば、部屋の片付けなど)
今年は、まず目標達成までの計画を思索し、しっかりとした計画のもと日々過ごすべきだろう
それから小さなことをおろそかにしないことだ。しかし、眠い・・・昨晩は年末という油断で
食いすぎた。1月1日は特別ダラダラするのが許される気がするのは人間錯覚というか、
何か思い違いをしているとさえ思えるねー人間が勝手に決めた日じゃないのか「1年に1回ダラダラ過ごしていい期間を作ろう!」と考えてね。
さてやりたいことができないこの私が、思うこと
それはまず自分の意思薄弱ぶり、睡魔や、他の快楽への誘惑に勝てません
今やるべきことを先延ばしにしてしまう傾向は相変わらずです 一般的にひどいものではないですがね
パウロは言っています「わたしは自分のしていることがわかりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし望まないことを行なっているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そしてそういうことを行なっているのは、もはやわたしではなく、私の中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうとする意思はありますが、それを実行できないからです。わたしは、自分の望む善は行なわず、望まない悪を行なっている。もし私が望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはや私ではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで善をなそうと思う自分にはいつも悪がつきまとっているという法則に気ずきます。「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもうひとつの法則があって心の法則と戦い、わたしの五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。」
このパウロの言ってることが本当だとするならば、私は鍛えなければいけません
自分の内にある霊をです。内なるものが正しくなれば、やりたいことができるようになるはずです とりあえず今日は正月元旦なのでダラダラすることにします。
今年しようと思っていることをリストアップなんてしてみようかなっと
1.2階緑化計画 2階は生き生きとした緑に被われます
2.常に清潔な部屋で過ごすこと
3.読みかけの本読むこと
とここまで書いて疲れてきました 自分の熱意や努力とは無関係に、神様は賜物を下さるからです。人が考えて計画し、得ようとし、それが成功しようとしまいと神様からみれば、他愛もないことだからです。全ては神様のご意志で、そのことがその人にとってどんな賜物となるか決められているからです。その人の人生にどんなことを賜るか?それは神様だけが決められるのです。
今の私に賜らせてくださったもの 少ないし、つまらんし、と思うのは私が高慢だからです
今自分の周りにある人や物に、どれだけ感謝できるか?それこそが人が豊かになるか、なれないかの違いだと考えます。普通の人が見て何も持たずに、何も残さずに死んでいく者、彼の心はこの世を十分満喫し、満たされたまま神の国へ召される。