自分で思っていた以上に
大きな出来事だったみたいで
ところかまわず涙が出て
困ってる。
2月3日お通夜
2月4日お葬式
玉川小学校校長 宇佐恒浩先生。
2016年に始めて植松さんを草津にお呼びして
そのあと色んな所で講演会をやることについて
試行錯誤、失敗もして、
やっぱり
子どもは学校にいるんだから、
学校と一緒にやらなきゃ、と、
2017年、2018年とPTA を頑張った時
教育委員会で
そして校長として
私たちの思いを支えてくださった宇佐先生で。
学校に反対されたら何にもできなかったし。
2019年はPTA を離れてKMP の活動に没頭してたけど、
玉川小学校の先生方との信頼関係があってこその活動の広がりでした。
玉川小学校は私にとって安心安全な場所だった。
去年の3月
2年間の本部役員の仕事に区切りがついて
先生方とお疲れ様会をしたときに、
『植松さんを玉川小学校のスペシャル授業に呼んでほしい』と言われてびっくりした。
もう4月5日には玉川小学校でのロケット教室とクレアでの講演会を控えていて、
『え、私、1年に2回も植松さん呼べない。先生、そんなむちゃくちゃ言わないで🤣』って笑ったんだけど、
宇佐先生の目は笑ってなくて、
『本気ですか?』って聞いたら
『ほんとにそう思ってる』と。
『今年ですか?』
『今年』
『わかりました、やってみます』と、言って。
でも、私そのままにしちゃった。
それが
ずっと引っ掛かってた。
『今年』じゃなきゃダメだったんだな。
1月24日金曜日の夕方、教頭先生から電話をいただき、宇佐先生がもう学校に来られないことを知りました。
三学期の始業式
宇佐先生は酸素ボンベを引っ張りながら、先生方に支えられて、子どもたちの前に立たれたこと。
自分の弱った姿を見せることを最後まで悩まれたそうですが、ありのままの姿で子どもたちの側に立つことを選ばれたこと。
3月までは教頭先生が校長代理をつとめること。
偶然?その日2時間後にはPTA 本部役員選挙で。
もう私には役員は関係ないと思ってたこと。
委任状をだして家にいようと思ってた時間。
なのに心が騒いで騒いで仕方なく。
これ以上手を広げてどうするん!って自分がいるけど、ここで役員に手をあげなきゃ絶対後悔する確信。
何だったんだろう、あの時の気持ち、と、今も不思議な感情のわきあがり。
失敗するかもしれないけど
二年間病気と戦いながら、
亡くなるギリギリまで学校にいてくださった宇佐先生に、
私は私のできることで、応えたいと思いました。
子どもたちは、校長先生を偲ぶ会でお別れが、できたけど、
一般の保護者は校長先生が亡くなったこと、お手紙でしか知らない。
なんとなく
繋がりの希薄さも、気になった、
お通夜とお葬式。
それでも
人の生死は
完璧なタイミングで
神様が動かしてくださっていると思うから
出逢いに感謝して
また前に進もう。
宇佐校長先生
ありがとうございました。









