私は、子どもと一緒に遊ぶのが、苦手ではないけれど、そんなに好きではない。

 

中には、子どもと遊ぶのが苦手で、お人形遊びもどうしたらいいか分からない、

絵本の読み聞かせも、なんだか登場人物になりきれない、そもそも子どもの遊びやおもちゃに興味がない。

 

きょうだいがいればまだしも、一人っ子なのに、今日も子どもと向き合って遊んであげられなかった。

 

そんな自分に罪悪感を覚えてしまうお母さんはいると思う。

 

だけど、安心してほしい!

一緒に遊べなくとも、子どもはあなたがそっと見守ってくれているだけで、十分なのである。

 

私は幼い頃、今では亡くなった、祖母の家に遊びに行くのが大好きだった。

 

だけど、祖母の家には、おもちゃなど一つもなく、絵本も、ぬりえすらもなかったと思う。

毎回遊びに行くと、何かしら買ってもらえはしたけど、ガチャポン程度の、そんなに高価なおもちゃではなかった。

 

そんな状況でどうしてこんなにも、毎回楽しかったのだろうと思い返していくうちに、浮かんだ情景がある。

 

祖母は、いつも私のそばにいてくれた。

 

絵を描いたり、家から持ってきたおもちゃで遊ぶ私の横で、ただただずっと見守ってくれていて、

時折話しかけてくれたり、私の発言に反応してくれたり。

 

当時共働き家庭で育った私としては、

 

大人がつきっきりで私のことを見守ってくれる

 

それはめったに訪れない、至福の時だったのだ。

 

家事には一切関わらない、祖父と二人暮らしだったので、やりたい事もあっただろうに、

そういえば祖母が私の前で掃除、洗濯、料理などで忙しくしている姿は一度も見たことがなかった。

 

裁縫も得意で、たくさん洋服や人形を送ってくれるのに、その作品たちを作っている姿もほとんど見たことがない。

 

洗いものくらいはしていたと思うけど、

全部私が来る前や、寝ている間に済ませて、私との時間を作ってくれていたのだなぁと今になって思う。

 

そんな事にある日気付いた私は、

ゆっくりしようとした時に、小1の息子に遊ぼうと言われたので、祖母の真似をしてみた。

 

遊ぼうと言われたので、最初は参加している感を出しながら、徐々に手を放し、あとはただただ見守るだけ。

 

数分見守っていると、息子の口から

「なんかこれ、たのしいわ!」

という言葉が飛び出てきた。

 

それは数年前に買った、何回も遊んだことのある、何の変哲もないおもちゃ。

 

最近おもちゃに飽きてきて、楽しいことはもっぱらゲームになってしまっていた、息子からこんな言葉がでるなんて。

 

大切なことに気付いた気がする。

 

おばあちゃん、ありがとう。

 

 

毎日忙しいお母さんは、子どもと向き合うために家事を済ませておくことなんてできないと思う。

 

だけど10分でも家事を休憩して、スマホを置いて


子どもが遊んでいる様子を、ただ見守るだけの時間を作ってあげるだけで、

お互いに満足感が得られるのではないだろうか。