今日、二人の人の訃報が舞い込みました。ひいおばあちゃんとお兄ちゃんの友達のお父さん。ひいおばあちゃんは既に呆けていて、自分の娘さえ分からない状態、誰も死に目に遇うことができませんでした。それってどうなんでしょう?なにも分からないまま生きて、衰え、死ぬなんて。愛する人の存在を忘れる気分はどういうものなんだろう?
もうひとりの人は、癌だったみたいです。一家の大黒柱でありながら、死を待つことはどんなに悔しかったことでしょう。子供の成長を見届けることさ叶わない。自分の弱っていく躯と心を守ってあげたい人から労られる状態は、きっと残酷です。
お母さんは「死んだら終りやな。何もかも。」そういって、私の肩で少しだけ泣きました。その通りかもしれない。それが現実なのかも。一瞬、「そんなことはない。その人は心の中で生きている。死んだというのは貴方の心に息づいた証し。忘れるのは罪じゃない。ふと思い出すときに、例えばもう鮮明に笑顔を想い描けなかったとしても、貴方は悪くない。そうして哀しむ貴方の泪の中にまた彼等はいるのだから。心配要らない。」そういって、いっちょまえのコピーライターみたいな優しい言葉を降らすことも出来たし、何よりそう強く信じていたので、お母さんの言葉に軽い嫌悪感をかんじ、訂正しようとしたけれど、その傷に触れようとした瞬間、傷の深さに怯んで、手を引っ込めてしまった。私には、その傷が移り病にも、お母さん一人のカオスにも見えた。そしてその傷を通して沢山の人の背中を見た気がした。
どんなに綺麗な暖かい言葉で未来を示してみても、それまでの過程は、恐ろしく現実的で、あっけない。死んだら躯は物質化するのだ。小さな箱の中にはいるのだ。口には綿を積められて、肌は固く、唇はもう自分への愛をくれない。
もっと違う人を失ったり、もっと歳を取れば言葉を選び抜いたり、傷にだってつける薬があるのだと分かって、
今の私は幼いのかもしれない。心があるようでないのだ。ゆれやすいのだ。
お母さんの頭を優しく撫でて、甘いお菓子を用意してあげることしか出来ない自分が情けなかった。
もうひとりの人は、癌だったみたいです。一家の大黒柱でありながら、死を待つことはどんなに悔しかったことでしょう。子供の成長を見届けることさ叶わない。自分の弱っていく躯と心を守ってあげたい人から労られる状態は、きっと残酷です。
お母さんは「死んだら終りやな。何もかも。」そういって、私の肩で少しだけ泣きました。その通りかもしれない。それが現実なのかも。一瞬、「そんなことはない。その人は心の中で生きている。死んだというのは貴方の心に息づいた証し。忘れるのは罪じゃない。ふと思い出すときに、例えばもう鮮明に笑顔を想い描けなかったとしても、貴方は悪くない。そうして哀しむ貴方の泪の中にまた彼等はいるのだから。心配要らない。」そういって、いっちょまえのコピーライターみたいな優しい言葉を降らすことも出来たし、何よりそう強く信じていたので、お母さんの言葉に軽い嫌悪感をかんじ、訂正しようとしたけれど、その傷に触れようとした瞬間、傷の深さに怯んで、手を引っ込めてしまった。私には、その傷が移り病にも、お母さん一人のカオスにも見えた。そしてその傷を通して沢山の人の背中を見た気がした。
どんなに綺麗な暖かい言葉で未来を示してみても、それまでの過程は、恐ろしく現実的で、あっけない。死んだら躯は物質化するのだ。小さな箱の中にはいるのだ。口には綿を積められて、肌は固く、唇はもう自分への愛をくれない。
もっと違う人を失ったり、もっと歳を取れば言葉を選び抜いたり、傷にだってつける薬があるのだと分かって、
今の私は幼いのかもしれない。心があるようでないのだ。ゆれやすいのだ。
お母さんの頭を優しく撫でて、甘いお菓子を用意してあげることしか出来ない自分が情けなかった。
友達を大事にしましょう