幼少のころ、ドリフの度さ周り公演があり、当日券を親に泣いて頼み 学校コントと少年少女合唱団をみて、大笑いしたことを今でも憶えてる
お笑いのきっかけが厳格な家庭環境の中、教諭をしていた父親が、唯一みていた番組の中で三木のり平、八波むと志のコンビによるコントで笑っていたため、将来はお笑いを目指すことになる。
由利徹に弟子入り志願するも断られ、音楽性のあるドリフのリーダーのいかりや長介へ弟子入りする。
弟子入り時代は厳しく、8時だよ!全員集合のネタ会議の席には入れない日々がつづいた。
人気絶頂の頃、当時のメンバーだった荒井注がドリフを脱退することになり急遽メンバー加入しなければならいなことになる。有力候補としてはすわ親治氏と言われていたが、弟子の順番や兄貴分の加藤茶の推薦により加入した。
ドリフの正式なメンバーなる前にマックボンボンというコントを組んでいた。
コント55号のように動きのあるコントをしていて、55の次はマックボンボンかと言われていたそうだ
確かに志村の走りながらの突っ込みの動きは欽ちゃんとややかぶるかも
同じ稽古でもドリフはいかりやの意見が絶対で作家はイエスマン
欽ちゃんはコント作家(岩城さん?)とのコラボで動きのある設定をしっかりしていたコントを演じていた。
たぶん当時の志村は欽ちゃんのようにアグレッシブなコントがやりたかったのではと思う。
そんなボーヤ志村がメンバーになり、若返りをみせたドリフ。
絶対暴君のいかりやに 真面目な仲本、なんとなく存在感のあるブー、こぼけで笑いを誘う茶
そして 最後は志村が笑いを増幅するコントを演じ、子供が喜ぶフレーズギャグですっかり志村のとりこになる。
カラス~なぜ鳴くの~カラスの勝手でしょう~
東村山一丁目、一丁目、ワォ~
よく歌い先生に怒られていたトウシロウ。
PTA調査では必ず見てはいけない番組の上位だった。(あとウィークエンダーとか)
全員集合は裏のひょうきんの勢いやマンネリ化してきた要因で番組を終了する。
その後カトちゃん・ケンチャンに移行し、今度はひょうきん族を返り討ちに
ドリフ大爆笑で単発でやっていたバカ殿は今では改変期とお正月のSP番組として定着する。
二代目のじい東八郎とのコンビは最高
ゲストやレギュラー番組でマチャアキ、たけし、鶴瓶、遠い親戚にあたる所などと競演する。
さんまのまんまでは お互いおなじようなポジション(番組内での)とさんまとトークしていたのは、当時を知るトウシロウにとってたまらない至福の時だった。
今、映画で正しいお笑い映画がない。喜劇駅前シリーズのような映画をぜひケンチャンにやってほしい。
尊敬するコメディアン 志村けんさん 全盛期をともに生きて幸せでした。
