ドリーグランパ癌闘病記改め⇒母:アルツハイマー型認知症日記 -61ページ目

合同慰霊祭



こないだ…宮城県で合同慰霊祭があった
嫁は義父と義母とZアネーと
日帰りだけど行って来た



震災から100日



被災地はあの日以来何も変わっていない
まだ被災したままの状態


親や子供、孫が亡くなった人たちが
満足にお葬式も出来ない


家でお葬式をやれる状態じゃない
つうか…お家が無い


お坊さんも、葬儀屋さんも被災している



亡くなった親族が少しでも
気持の整理がつけられる区切りに
なれればいいなと思う



亡くなった親戚の18歳の子
この春から東京の大学に入学する予定だった
東京で住む家も決めていた


ブログも3/10に更新している
明日も教習所だって綴ってある


その車の教習が終って家に帰ってきた後
津波が襲った


ブログに載せてある写真を
印刷して親御さんにあげようとアルバムつくってる


卒業式に教室でおかあさんと写ってる
とても微笑ましい良い写真がある


その18歳の子は津波に襲われたあと
最後までおかあさんと一緒に住んでたおばあちゃんを
かばったらしい…との事


おかげでおかあさんは瓦礫の間に挟まって
きれいな顔で見つかったらしい
良い息子を持ったね


自分は犠牲になって、なかなか見つからなかった


残念ながらおばあちゃんはまだ見つかっていない



いくつもの写真を見ていると涙がでてくる
神様…何も前途有望な18歳の子を連れて行かなくても


本当にやさしくてよい子だったことが
ブログの記事で伺える
追悼のコメント見てると…本当にそう思う



たくさんのお友達、先輩、後輩から
コメントがある



他校にからまれた後輩を真っ先に助けにいったり



コンプレックスで塞ぎ込んでた友達の心
を開いて仲良くなったり


もちろん悪さもしてた(笑)
タバコも吸ってたし酒も飲んでいた


でも、みんなそんなもんだよね♪




合同慰霊祭には、ちいさい部落なのに
本当にたくさんに人が出席したらしい


会場に入りきらないほどだったという
みんな良い人ばかりだからね
たくさん来てくれたんだね


被災した親族に会ったらしいが
親族もだいぶ疲弊しているみたいだ



なんで…自分が生き残ってしまったんだろう
そんな感情がおきてくる時期だそうな



津波から逃れられた人は…本当に奇跡
最近色々テレビで津波が襲った時の解析を
CGとかでしている


地震から40分程度、津波が襲って来るまで
時間があった
しかし、誰もがそんな大きな津波が来るとは
予想もしていなかった



ほんの一瞬の判断、行動で
生か死かどちらかになってしまった



津波に飲まれていく人を見てしまった
子供も居る



大人も子供も「心のケア」をしてあげて欲しい
でも、お話を聞く人も今は居ない


臨床心理士会が行ったボランティアの講義
を嫁が受講した際も
どこぞのお偉い先生が被災地にボランティアに行った…と
助かったし、とても素晴らしいことだと思う



…でも、宿を日赤病院に取ってもらったんだって
今回は2度目で、前回はその場でザコ寝だった
少しずつ被災地は回復しているけどってことが
言いたいんだろうけど


宿を被災地のひとに取ってもらうって???
迷惑かけてんやん
被災地の人の仕事増やしてどうすんの?!



…正直、そう思ったらしい



結局…言い方悪いけど
ボランティアに行って「やってる」



…と聞こえたんだと。



みんながみんなじゃないだろうけどね



ま…何もしねー何もできねー俺よか
百万倍役には立ってるのは事実だけどね



なんだろ…



被災した田舎の話をしていると
何かに噛み付きたくなるのかな



文章も支離滅裂なの自分でわかるし
何が言いたいのかもコロコロ変わる感じ



そして何かに矛先を向けたくなるんだろうか



多分そうだろう



イラついたり…悲しんだり
そんなことの繰り返し



遠く離れた俺でさえこんなだから
実際被災した方は
想像する事も出来ない



ただ、ただ祈るばかり


そして自分に出来るちいさなことを
見つけて復興を願う