ネタバレ スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け感想 シリーズ全体を思いつつ | 沈みかけ泥舟のメモ

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今はネタバレなしの映画感想ブログ化してます。

普段、内容には触れない感想を心がけているのですが

スターウォーズ全9部作の最終作の感想をしっかり書こうとすると

やはりこれまでの作品のネタにも触れて書かないと無理なので

今回は物語の核にも触れつつ少し。

 

最後の三部作の第一作「フォースの覚醒」は

エピソード6から8をまとめたような「スターウォーズファンによる作品」という感じで

「何のために一度きれいにエピソード1から8までで完結した物語を再開したのか?」

という「どうせ作るなら新規性が欲しかった」といった感じの批判を受けていました。

また、ダースベイダーに代わるキャラクターであるはずのカイロ・レンが迷う若者として登場し、

力不足感が否めなかったというのも批判されていたように思います。

 

第二作「最後のジェダイ」は「フォースの覚醒」と真逆。

主人公レイの親が「名もなき一般人」とされるなど「スターウォーズのお約束を壊してみました」

という部分が多くて「スターウォーズになんてことをするんだ」といった批判を受けていたように思います。

「フォースの覚醒」でのハン・ソロに続いてルーク・スカイウォーカーまで故人にしてしまったことも

物議を醸していたかなという記憶があります。

 

個人的には新主人公のレイとカイロ・レンを「迷う若者」にすることで新しい世代を意識させたり

「最後のジェダイ」でのお約束壊しは「新たなスターウォーズを見せる」という気概が感じられて

成功していたかどうかはともかくとして好ましいように思いました。

 

が、しかし。

 

エピソード9「スカイウォーカーの夜明け」は「変える」ことが好ましく思った人間としては

なぜ戻してしまったんだろうか、という残念さがありました。

 

物語の見せ方としてはエピソード4「新たなる希望」のような冒険作品みたいになっていて

楽しく鑑賞できるようになっていたので良かったのですが、

ファーストオーダーの指導者となったカイロ・レンが強大な存在となり

それがレンとの戦いで変化するというような物語に収斂するのかと思っていたら

まさかの「皇帝パルパティーン復活」。

カイロ・レンではスターウォーズのラストを支える敵役として力不足と思ったのでしょうか。

パルパティーンが帰ってきてしまったことでエピソード9「スカイウォーカーの夜明け」は

エピソード6「ジェダイの帰還」と印象が変わらないということになってしまいました。

 

これなら「フォースの覚醒」でハン・ソロを「最後のジェダイ」で指導者スノークを殺害し

カイロ・レンが変化していくというような流れは不要だったのではと思います。

それなら代わりにパルパティーンの影を感じさせるエピソードを盛り込んでいた方が

エピソード9の唐突感を緩和させることも出来たのではないかと。

 

また、「最後のジェダイ」でレイを「一般人の子」という展開をしたにも関わらず

実は「パルパティーンの孫」という話を作ってしまったことで

やはりこれも「ルーク・スカイウォーカーの父はダースベイダー」を想起させて

「手垢が付いた感じ」を与えてしまったように思います。

 

カイロ・レンことベン・ソロの最後の戦いでの扱いもひどかった。

気絶中に吹き飛ばされて退場はちょっと。

 

何だか迷走している印象の三部作。

 

それでも「スカイウォーカーの夜明け」の良かったところを上げるなら

弾圧されている人々をしっかり描き、そこから立ち上がった群衆

(戦闘用の艦隊ではなく一般の船の艦隊)が決戦の地に集結した場面とか、

ラストシーンで「レイ・スカイウォーカー」と名乗った場面でしょうか。

レイが「血筋」である「パルパティーン」ではなく「スカイウォーカー」を名乗ったのは

「血筋」からの逃亡を図ったけれど殺された両親の遺志を継いで

「血」ではない「絆」を選び取った象徴として良かったように思います。

 

ジョージルーカスが始めた「スターウォーズ」はここまでの9部作で終わり、

今後はディズニーが「スカイウォーカー」とは無関係な「スターウォーズ」を作るという話がありますが

完全に切れることで自由な発想の面白い作品が生まれるのか、

「スターウォーズ」という金になる名前を冠しただけの駄作になるのか。

 

心配しながら見守りたいと思います。