震災から15年を迎えて、新聞、テレビでも様々な報道がされました。 
「忘れたいけど、忘れてはならない」体験です。  
 奪われた「人のいのち」の尊さをかみしめるとともに、「覚えておくべき」ことはなんだろう?

 当時、私は日本共産党西宮市会議員団の事務局長に就任したてであった。
 党の救援センター(故つづき研二県会議員の選挙事務所を急きょセンターとした)で全国から続々届く救援物資をこれまた全国からかけつけてくださるボランティアのみなさんの手によって被災者に届ける活動の手助けや、
党議員団に寄せられる相談ごとの処理、情報が必要とのことで議員団ニュースの発行などなど、毎日涙を流しながら、とりくんだ。

 家のことはほとんど同居の母にまかせきりだった。このとき母はすでに体調を崩しており、どさくさで発見が遅れ、ちょうど1年後に「末期ガン」がみつかった。無理をさせすぎたのではと心が痛んだ。

 しかし、後日、被災し私たちの家に同居していた妹が「自分のことだけで必死だった中で、お姉ちゃんが家族を代表して頑張ってくれた」と評価してくれた。救われた思いだ。

 あの助け合いの日々は「覚えておくべき」ことの一つだ。