意図の視点についてです。

「5次元で生きる」という言葉が
よく使われるようになった今、
どこを見て生きているか。
その“視点”がとても大切だと感じています。

もしあなたが、

「5次元の自分になりたい」
「5次元の自分になったらすごい」

だから
【5次元で生きる】

そう意図しているなら、
そのままだと、少し危険かもしれません。

なぜなら、
その意図のままだと
無理な状態を作り続けてしまうからです。



「5次元の自分で生きたい」
そう願う人は、とても多いと感じます。

・苦しさから抜けたい
・軽くなりたい
・振り回されない自分になりたい

その願い自体は、
何も間違っていません。

でも、
“意図の置き方”によっては、
逆に苦しさが長引いてしまう構造があります。



多くの場合、
「5次元の自分で生きたい」という願いの裏には、

「今の私はまだそこにいない」
「5次元の人はすごい」
「もっと高い場所に行かなければ」
「いつも気分のいい自分で居なきゃ」

という【前提】が、
無意識に含まれています。

ここに、落とし穴があります。



3次元的な視点

・勝ち/負け
・上/下
・評価・比較・承認が基準
・原因と結果を一直線で捉える
・「どう見られるか」「どうすれば手に入るか」が軸

この視点は、
社会で生きる上ではとても役立ちます。
でも、ここに留まり続けると
人は疲れてしまいます。



5次元的と呼ばれる視点

・善悪や上下の二元論を超えて眺める
・出来事を「意味」や「学び」として捉える
・他人をコントロールしようとしない
・自分の内側の感覚や一致感(ピン)を基準にする
・起きている現象に反応せず、俯瞰して見る

ここで大切なのは、

「5次元=ずっと穏やか・悟っている・キラキラ」
ではないということ。



もし、

「5次元の自分はすごい」
「私はまだそこに行けていない」

そう思っているとしたら、
その考え方自体が
上下・比較・到達点を前提にした“3次元の視点”です。

だから、

「5次元になりたい」と思えば思うほど
5次元は
遠い理想の場所になってしまう。

という矛盾が起きています。



5次元は、
行く場所ではありません。

ランクでも、称号でも、
他人からの承認でもなく、
ずっと居続ける世界でもありません。

同じ人が、同じ一日の中で
3次元的に考えることもあれば、
5次元的に物事を見る瞬間もある。

それが、実際の姿です。



「すごい5次元の自分になろう」
という意図で生き続けると、

「今の自分は足りない」
「まだ到達していない」
「もっと変わらなければ」

という
“今の私では無理”
“まだなっていない”状態を、
無意識に作り続けてしまいます。



そして、ここから
依存と支配の構造が生まれやすくなります。

特に、

「上にいる人」
「導いてくれる人」
「正解を知っていそうな人」

そんな存在を
無意識に探している時。

すべてのメンターが
悪意を持っているわけではありません。

けれど、
選ぶメンターや関わり方によっては、
本人の意図とは関係なく
依存が深まる関係性が作られてしまうこともあります。



「あなたはまだここ」
「もっと上がある」
「私についてきたら大丈夫」

そんな言葉が、
安心と引き換えに
自分の感覚を預けさせてしまうこともある。

だからこそ必要なのは、
誰かを疑う目ではなく、

自分の感覚を見失っていないかを見る
「意識の目」です。


もし今、

「軽くなりたいのに苦しい」
「5次元を目指しているはずなのに力みを感じる」
「大丈夫な状態で居ようとして疲れている」

そんな感覚があるなら、
変えるべきは行き先ではなく、

意図の「視点」なのかもしれません。



どらみは、
そうならないための
「意識の目を養う」セッションをしています。

あなたが
あなた自身の原点に戻り、
自分の感覚で立てるようになるための時間。

それは、
誰かに引き上げてもらうのではなく、

自分の「意識の視点」が
すでに整っていると感じられ時間
とも言えるかもしれません。

 

 

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