ドラキュラ社長の経営学
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なぜ ついていかない 雛

これ、いつの時代も黄金律。 


 いいものを提供すればいいものが提供される。


あたりまえか。


志はプロのサーヴィス業でありたい。




なぜ、店長についていかなかったか?正直に。





「服がダサかったから。」





その当時、私は音楽が志。嗅覚だけは鋭いつもりでした。彼には大変失礼ですが、ダサい。センスがないのに、経営がうまくいく。そんなビジネスがあるのか?その当時、私が知り合うお金持ちさん達は少なくとも常人並以上のセンスの持ち主でした。なぜなら、経営者たるもの、一般的センスの読みがなければ お客様に提供できる需要を生み出せない。 はず!?


一般的センスがなくて一般的需要を生み出せるビジネスなんてあるのか?


あるなら、逆に自分のセンスをいかせば、より良いものが生み出せるんじゃないか?と、考えたのです。今思えば、その気持ち、その瞬間、ドラキュラの牙が首筋へと突き刺さっていたのかもしれません。わかりません。でも、私の興味は高ぶりへとかわり。創造は行動へと変わりました。



次の日。

私はその当時、巷で言う、「キャバクラ」へ電話をかけてアルバイトの面接の約束を。

親はリーマン

ツヅキ


彼は「某有名ヘルス店長mさん。」



 車はポルシェ。


 年は27歳。


 親はリーマン。


 高卒。



 ほんのちょいだけ、色男。んでもって、ほんのちょいだけ色黒。


まあ、その頃はポルシェなんて、見たこともないから良さが分からない。でも1千万円近い車だと、いうのは知っている。私なんてその頃、総合駅でパクッた自転車一台を維持するので精一杯だった。


「なんなんや。こいつは。」


彼は田舎風な若手の私を連れて、夜のネオン街へとくりだした。

「出会いに乾杯。」麒麟ビールかと、思えばシャンパン。カフェドパリだ。初めて飲んだ。(シャンメリー以外のシュワシュワを。)

彼は私を仕事のパートナーに誘ってきた。その当時私20歳前後。

ここで、ポイントなのは私がここで彼の誘いを断ったのだ。

初めまして。

こんばんぬ。「気付いたらドラキュラ社長になっていた」の ドラ吉です。


人に戻りたい」


「本当は人に愛されたい」


人を相手にビジネスをする」


ドラキュラ社長です。

実はわたくし、何軒か、何業種かの経営を今現在INGしております。(ですから、ノンフィクションなんです。)

実はわたくし、普通の家庭に生まれた、普通の日本人男性でした。

子供のころに母は私に優しさを教えてくれました。そして、ついでに??


母「ドラ吉、社長は偉いのよ。社長か、医者になりなさい」


私「総理大臣より?」


母「ママにとってはドラ吉が社長に成ることのほうが大切よ。」


私「うん。なる。(~o~)



まあ、ありがちな会話なのか分かりませんが、子供の頃のこんなやりとりを未だに覚えております。(25年程度の想い)母はそういった心得だけをわたくしの心に刻み、家庭を残し、我々の前から消えてしまいました。その母の言葉を未だに思い続け、今に至ります。

全国の母上様。息子はいつまでたっても母が大好きです。やはり、照れ臭いので「濃いタバコ」のように煙たがりますが、実は正解で一番母上が居心地がよいのです。悲しいですが、みんな居なくなってから初めて気付くんです。良く歌詞とかであるあれは、若い彼女のためのフレーズじゃないんですよ。多分。

と、まあ 今では見る人が見れば普通の家庭ではなくなったのですが。普通の人の普通の息子。何をやっても中途半端にできてしまうが普通の人でした。

ただ、人と、違うといえば


「ただ、社長になりたかった。」

「ただ、忍耐力があった。」

「ただ、何の才能も自分にはない。と自分でわかっていた。」

「ただ、人より人が好きなつもりだった。」


ですかね。まあ、まあ、なんの特別なこともありませんよ。まったく。こんなわたくしでも 今では社長。こんなわたくしが「ブログを書こう」と、考えたのは他でもない。ドラキュラがドラキュラ仲間を増やしたい!と、考えている大義名分はさておいて。   内心、

「出来ることなら私の世界に関わらないでね」と世の中の人のためにも考えてしまう10%の良心から。んだけ。

そんなこんなで

25歳で念願の社長になったが、よく考えたらドラキュラになってたんです!

気づいたら。噛まれてたんですよ(((( ;°Д°))))!!ドラキュラに。

わたくしが忘れもしない、初めてあったドラキュラ君。彼は27歳くらいなのに白いポルシェに乗ってやってきた。

⇒「ツヅク。」