ザ・ビートルズ

ビートルズ―――彼らの存在そのものが地球を丸ごと飲み込んだ巨大な現象だった。ジョン・レノン(g&vo)、ポール・マッカートニー(b&vo)、ジョージ・ハリスン(g&vo)、リンゴ・スター(dr&vo)というリヴァプール出身の4人組は、50年代R&Rを基調としたスタンダードで馴染み深いロックを展開し、空前絶後の大ヒットを飛ばし続けた。また、5枚目のアルバム『ラバー・ソウル』から、特に音楽的に革新性が際立つようになった。66年にリリースされた『リボルバー』で発芽したインド音楽への接近や逆回転テープ録音などの実験精神は、67年の『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で一気に開花。コンセプチュアルな視点から、クラシック、インド音楽、前衛音楽などさまざまな要素を取り入れたサイケデリックな音世界を展開した。それでも、彼らの音楽に対する探究心は飽くことなく、68年の2枚組アルバム『ザ・ビートルズ』(俗に言うホワイト・アルバム)では、自らのルーツを再確認するかのようにブルースやフォークを、さらにはスカやハード・ロックにまで手を伸ばし、底なしの創作意欲を発揮した。
この頃になると、メンバーそれぞれの個人活動も増え、ジョンとポールの不仲などが取り沙汰されるようになり、69年に事実上のラスト・アルバム『アビイ・ロード』が発表された。およそ10年足らずの活動ではあったが、音楽界のみならず、あらゆる社会現象に大きな影響を与えた功績は、4人という希代の才能(そして、5人目のビートルズといわれたプロデューサーのジョージ・マーティン)が地球規模のスパンの中で偶然的に合致した奇跡の産物といえるものである。そして、彼らの「歴史」は、単なる歴史としてそこにとどまることなく、後生のあらゆるバンドやアーティストによって何度も書き換えられ、常に「現在」として生きつづけている。(リッスンジャパン)


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お~かっこいいですね~~~(* ̄Oノ ̄*)


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すごく若いですΣ(・ω・ノ)ノ!

20代の古いアーティスト№1でした。

にんきですね~~~~(●´ω`●)ゞ

      本当にあった怖い話
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血まみれの老婆が首を締めに来る!

 むかしむかし、江戸(えど→東京都)に有馬(ありま)という殿さまの屋敷がありました。
 ある年の春の夜、殿さまが便所(べんじょ)へ行っての帰り、おぼろ月をながめながら渡り廊下を歩いていると、何者かが後ろからかけよってきて、いきなり肩に手をかけました。
「何者!」
 殿さまがふりむいた時、相手は両手で殿さまの首をしめつけてきたのです。
 それは屋敷では見たこともない老婆(ろうば)で、髪をふり乱し、キバをむいて首をしめつけてくるのです。
 老婆とは思えない力で、殿さまの顔はみるみる血の気がなくなっていきました。
 しかし殿さまはあわてるようすもなく、その手をはらいのけるなり、わきざしをぬいて老婆に切りつけました。
「フギャーー!」
 老婆は叫び声のかわりに、無気味なうなり声を残して走りさりました。
 それを聞きつけた見まわりの家来が、明かりを持ってかけてきました。
「殿、いかがなさいましたか?」
「何者かが、わしの首をしめようとしたので、切りつけたら逃げていきおった。わしは大丈夫だから、いたずらにさわぐでないぞ」
 殿さまはそれだけ言うと、なにごともなかったように部屋へもどっていきました。
 翌朝、殿さまは家老(かろう)を呼び出してたずねました。
「家来の中で、まだ出仕(しゅっし→つとめに出ること)していない者はないか?」
「なにか、ゆうべの事と、かかわりでもあるのでしょうか?」
と、家老は聞きかえしましたが、殿さまはそれ以上、なにも言いませんでした。
 家老が調べてみると、同じ家老仲間である角田要助(つのだようすけ)という男が、まだ出仕していないことがわかりました。
 すぐに、角田の家へ使いを出したところ、
「じつは昨夜、母親が急病で倒れて、いまもって起きることができないのです。すぐ医者をよびよせたが、どういうわけか母は部屋にひきこもり、まわりにびょうぶを立てめぐらしたまま、だれも中へ入れてくれずに、こまっています」
と、言うのです。
 家老はそのことを、すぐ殿さまに伝えました。
 すると殿さまは、ただちに要助(ようすけ)をよび出して、ゆうべの出来事を伝えました。
「では、その老婆がわたくしの母ではないかと?」
 要助が、顔色を変えてたずねると、
「いや、そうだと言っているのではない。ただ世間(せけん)のうわさでは、化け物が老人にとりつくことがあるという。そちの母も、とくと気をつけよ」
「・・・かしこまりました」
 おとなしくひきさがったものの、要助はふゆかいです。
 いくら殿さまといっても、家来の母を化け物あつかいするとはあんまりです。
 この上は母の容体(ようたい)を見きわめて、殿さまに申しひらきをしなくては気がおさまりません。
 要助は家にもどるなり、母の寝ている部屋にかけつけました。
「だれじゃ?」
 中から、母の声がします。
「どうしても、母上の容体を見とどけたくて、参りました」
「ならぬ! たとえわが子でも、中へ入ることを許さん。早くたちされ!」
「しかし、母上にもしものことがあればどうなります。ご病気なら医者にもみせなくてはなりません」
「心配はいらん。二、三日休んでいれば、きっとよくなる」
「ですが」
「ならぬと言っておるだろう!」
 要助がいくら頼んでも、母は中へ入ることを許してくれません。
(あの心優しい母が、これほどまでにこばむとは。・・・これはもしかして、殿の言う事が本当かもしれない)
 がまんできなくなった要助は、戸を開けて中へ飛び込みました。
 いくえにも立てめぐらしてあるびょうぶを押しのけ、母の寝ている枕元(まくらもと)へ立つと。
「これほど言っても、まだわからんのか!」
 母はこわい顔で、下から要助をにらみつけました。
「ごめん!」
 要助はいきなり、母の布団(ふとん)を引きはがしました。
 すると布団には、黒ぐろと血のあとがついているではありませんか。
 ハッとして母を見たら、右の肩に大きなけがをしていて、着物の上まで血がにじみ出ています。
「これは、ひどい」
 その時、要助の頭に、殿をおそう老婆の姿が浮かびました。
(しかし、まさか母上にかぎって。それにそもそも、殿をおそう理由もないではないか。だが、それにしても、なぜ大けがをかくすのだ?)
 要助には母のあやしげな態度が、どうしてもなっとくできませんでした。
「どこで、こんな大けがをしたのです」
 要助があらためて母にたずねると、母はだまったまま、要助をにらみつけます。
 目がらんらんと光り、いまにもとびかからんばかりです。
 いかに病気とはいえ、こんな恐ろしい母の顔を見たのははじめてです。
(もはやこれまでだ。もし本当に母上であったなら、自分も腹を切って母のあとを追おう)
 要助はかくごを決めると、 を抜いて母に切りつけました。
「ギャオォォォー!」
 すさまじい叫び声をあげて起きあがろうとするところを、要助は胸元めがけて力いっぱい刀をつきさします。
「なんてことを」
 さけび声を聞いてかけつけてきた家の者たちは、腰をぬかさんばかりにおどろきました。
 要助は刀を持ったまま、ぼうぜんと母の死骸(しがい)を見つめていました。
 すると不思議な事に、母の体はだんだんと形がくずれてきて、やがてネコの姿が現れたのです。
 そこには、頭からしっぽの先まで三尺(約一メートル)ほどもある古ネコが、血まみれになって死んでいたのです。
「やっぱり、バケモノであったか」
 家の者たちは、あまりの出来事に声もでません。
 やがて気をとりなおした要助は、家の者たちに、
「この事は、決してよその者に言うではないぞ」
と、念を押してから、殿さまの屋敷へ出かけました。
「角田要助(かくたようすけ)、殿の眼力(がんりき)には、ほとほと感服(かんぷく)つかまつりました」
 うやうやしく頭をさげてから、これまでの事をくわしく報告しました。
 すると、殿さまは、
「やはりそうであったか。だがこの事は、決して他人にもらすでないぞ。母は病死ということにして、よきにはからえ。・・・それから、バケモノとはいえ、母の姿をしたものに刀を向けるのはつらかったであろう。すまぬ、どうかゆるしてくれ」
と、家来の要助に頭を下げたのです。
 要助はあらためて、殿さまの思いやりに感謝しました。
 ふたたび家にもどった要助は、家の者に命じてネコの死骸(しがい)をかたづけて、母の部屋の床下をほらせてみました。
 要助の思ったとおり、床下からはガイコツになった母が出てきました。
 骨のようすから見て、数年はたっています。
 うかつにも母を食い殺したネコを、今まで本当の母と思ってつくしてきたのです。
「母上、どうぞお許しください」
 要助は一つ残らず母の骨をひろって、骨(こつ)つぼにおさめました。
 要助の母が死んだというので、おくやみの客が次々とやってきました。
 せめてもの供養(くよう)にと、近くの寺で盛大(せいだい)な葬儀(そうぎ→そうしき)を行い、殿さまもわざわざ葬儀にやってきて、要助の母をねんごろにとむらったという事です。

おしまい


  本当にあった怖い話


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知っている話で一番怖いと思った話をします。

私は、不戸田友一君とどうしてもいっしょに住みたくて家出をしました。

そして、ある不動産屋さんの紹介で、石見沢市内のアパートに入りました。

あんな恐ろしい目に合うとは知らずに…

 渡辺順子さんから手紙をもらい彼女は、精神病院にかよっているとのことだった。

いくら通っていてもよくならないし、ときおり、いやな悪夢にうなされるとのことだった。

どうにもならないことであった。

その彼女からの手紙は、かなり長いものだあった。

具体的に彼女の体験した幽霊アパートのことが書かれていた。

その手紙によると次のようになっている。

何も知らずに引っ越してきたカップルの身を案じる住民

「ここなら、とても便利ですよ」渡辺順子さんは、不動産の案内で、岩見沢アパートMの304号室を見た。そして、そこを借りることにした。

さっそく彼女は、生活品を買いそろえ、それを運送屋に運ばせた。

彼女は、恋いこがれている太田友一君との同居をするため仙台から家出してきたのである。

ようやく彼とのアパートが見つかり嬉々として荷物を運び入れているそんな彼女を見ながら、同じアパートの住人が、「あのいやな思いを、あの若い娘がしなければいいねえ」

「たたられなければいいかどねえ」とひそひそ話し合っていることなど彼女は、全く知らなかった。

昭和50年9月13日

渡辺順子さんは、買ってきたばかりのラジオをつけ、音楽に合わせながら品物を片ずけていた。

買った物を、きれいに並べ生活できるようにしているとき、太田友一君がやってきた

彼は、二つのケースを持っているだけであった。

彼もまた栃木から家出してきたのである。そうして、二人の生活が始まった。

しかし

二人の生活は、1週間ともたなかった。

無人のはずの部屋からカネの音と線香

9月19日

二人は、風呂か出てテレビを見ているときのことであった。

チーン   チーン    チーンと

カネの音がした。「……?」二人は、顔を見合わせた。はじめは、テレビか、近所からのものかと思っていたが?

二度、三度とカネの音がした。

チーン  チーン  チーンとまたもカネの音がした。

隣の部屋からだ。その部屋は、四畳半しかなく、タンスや鏡で足の踏み場もなくい。

二人は、カネの音につられるように部屋をのぞいた。

音は、部屋でしている。線香の匂いもしていた。仏壇は、もちろんカネなんてあるはずもない。

金縛りにあった二人に前に現れたのは…

長いので、最後までしっかり見てください。でわ

「ねえ、どうしたわけかしら」

「うん、気悪いね」

二人が、ささやきあったとき、

バシーッ!

大きな音がした。大きな亀裂が入ったこのような音であった。

その瞬間二人は、全く動けない金縛り状態になってしまった二である。

ただ、目だけをギョロギョロさせ、口を動かすだけであった。

ドアの開く音が、した。

ジャー

とシャワーの音がした。

悲鳴を上げようとしたが声が出ない。

震えていた。

そんな二人の目の前に、

「ギャーアッ!」

悲鳴を上げるような恐ろしいものが現れた。

ドアのすき間から黒い人影がスーっと二人の目の前に現れたのであった。

人間そのものの姿で現れたのである。

二人は、恐怖のあまりわなわなと震えていた。

身動きできない二人のすぐちかくまで近寄ってきたのである。

二人をドローンとした目で、ジーっと見つめた。

「ギャー」恐ろしい目つきに二人は、悲鳴をあげて気絶してしまったのある。

二人が、意識をとりも出したとき、何事もなかったようになっていた。

彼がシャワーの音が、していると風呂場に行くと、

驚きに悲鳴を上げ腰を抜かしてしまった。

シャワーの口からは、一滴も水は、出ていなかった。

にもかかわらず、湯船には、血のような水がたまっていた。

今では、その304号室は、釘でうちつけられ入れなくなっている。

これは、実際にあった話です。

あの幽霊の正体」は、何であったのか??