長期間、ブログを放置していましたが生きています。
昨年末から家族介護が悪化していました。
昨年12月→父の認知が酷くなりはじめる。要介護1
今年1月→さんみ~が仕事に出かけてる間に父に家を荒らされる。台所や自分の部屋など。ケアマネージャーに相談し、改めて介護等級申請。要介護3。 この時点でさんみ~が神経性胃腸炎で倒れる。
2月5日→父の主治医に相談。「透析を見合わせて来たけど、ご家族が心労で倒れたりすると本末転倒」「透析治療レベルだけど導入はしてないから支援や補助なども宙ぶらりんの状態になる」と言われ、いよいよ透析入院。
2月9日→父、入院
2月13日→父、初透析導入、心配してましたが「時間が長い」「針が太くて痛い」くらいで食欲がないなどはなく初回は順調のようでした。
そこから、さんみ~も自分の生活が少し落ち着いて見直せると思いきや、病院に何度も呼び出される。
止血指導、透析食指導、クリニック案内、診断書、その他で市役所やお見舞いなど。
全て、自転車移動ですが2週間で走行距離150キロになってました。
退院後の透析クリニックの送迎手配、相談などを済ませ、3月5日から月、水、金の午前7時15分~午後2時半までの透析。その他、訪問看護や訪問マッサージ、福祉用具も手配。
3月2日に退院が決まり、生活改善して頑張ろうと思いきや
2月26日→父の病院より21時40分、緊急呼び出し。 さすがに焦りました。
「何があったんですか?」と尋ねると「買い食いをしようとして、制止しても聞いてくれず、売店前でもう死にたいと座り込んでしまったのでご家族きてください」と言われました。
透析は始まってからの1日500㎖水分制限がキツイらしく、飲み物をこっそり購入は何度かあり、見つかる度に病院関係者に取り上げられてました。
呼び出しに応じ、急いで病院へ22時頃に到着。説得→寝かしつけ→帰宅23時半。さすがにその日は寝れませんでした。
翌日、ケアマネージャー、訪問看護、透析クリニックに事情を報告しお見舞いへ。
これが今日に至るまでの経緯です。
そして、今後も在宅介護をする予定ですが、延命ではなく安心できる見送り方をテーマに考えています。
父に「安心して旅立っても自分は仕事も生活も家族もいるから大丈夫」と言える状態を作りたいと考えています。
仕事も不安定、生活も不安定、家族や身寄りもいない、おまけに言うと持ち家で蓄えも中途半端にあるので、生活保護なんてのも受けれません。我ながら親不孝だと思います。
ただ、在宅介護を一人でしながら、プライベート充実してますよ!なんて事は困難を極めます。
出来る事から少しずつ。
当面の目標は月、水、金の朝7時15分に見送り→8時まで家事→9時に仕事→13時30分に帰宅→14時に食事準備→14時30分に父の迎え。
火、木、土に在宅での仕事。
と探してはいるものの、そんな都合の良い職もなく、行政支援は介護者には無く、さてどうしたものか。と現在に至ります。
