今更ながら東野圭吾の片思いのドラマを見た。
考えさせらえるドラマだった。
一番印象に残ったのは性同一性障害の母親を持った子供の思い。
「母親のまま黙っていて欲しかった」(言葉は違うかも)は痛い一言。
そうなんだよな。子供の思いはそれが本音なのかもしれない。
年齢が小さくて理解できないし、今とは違う時代の言葉なのかもしれないが、簡単に男なんだとは言えない。
そして家族にカムして受け入れられなく別れる。
子供がいても男でいきることを望めば子供と離れるしかなくなる。
すべてを捨てる覚悟がないと難しいことが痛かった。
そして男になったところで女であることはついて回るということ。
嘘をつきながら生きる事。襲われる危険があることなどなど…
原作はかなり違うのかな?20年前の作品であることは時代背景も違うし、映像化するのに緩くした部分もあっただろう。
相変わらず小説など読めない状態なのでいつか読める日がきたら読んでみたいと思う。
ただアメフトのマネージャー設定は自分にはないな。
男の世界に入れないこと一番感じる場所がマネージャーという立場だから。
「一緒にやりたかった」とも言っていたがそれは同じ思い。
性別で出来ないことを目の前にして生きていくことは耐えられない。
好きな女が目の前にいたら尚更だ。
20年前か…子供産んだころかな。結婚はしてたな。
もう10年早くこの本が出ていたら結婚という選択肢はなかったのかもしれない。
子供という選択肢もなかっただろう。
すべてが少しづつ間に合わないタイミングだったんだ。
自分の時代での選択肢としては間違いではなかったとは思う。
家族がいることは幸せなことだ。家族にカムしないことも間違いではないのだろう。
それはそれで嘘ついてる罪悪感と子供に与えてる影響はいつも不安にさせるが。
仮に男として生きようとしていたらバレないようにいつもビクビクしている人生だっただろう。
少し遅くに生まれていたら違っただろうが。
いつまでも時代が…と言ってることもどうかと思うがそれ抜きでは語れない。
ちょうど大きな選択をしようとしている時だった。
少し旦那と相談をしないといけない案件だった。
話をしていてそれなりにカマをかける言い方をしたが乗ってこなかった。
彼は性同一性障害など疑ってもいないのだなと確信した。
この世に性同一性障害の人がいることはこれだけ世の中に広まってるのであれば知らないことはないだろう。
なのに男に見えるなりをしている自分と暮らしていて疑わないのか…
これが現実なのだろう。
近くにいても見えないもの。それが性別なんだな。
性別が体と不一致な人がいることを知ってはいても、現実に目の前にいるとは思わないのが一致してる人なのだろう。
色々ドラマとリンクして考えさせられる。
あと4年後、下の息子が高校出るころにカムもありかもと考えていたがやめたほうがいいのかもしれない。
そうはいってもこのままずっと女として一生を終えるのも…
いつも揺れ動くこの問題。
あと半年で50歳になる。
焦っているのだろうか…
人生の折り返しはとうに過ぎた。
世の中も変わりつつある。
それでも現実は甘くはない。