OD自殺未遂をして、1年が過ぎた。去年もひとりぼっちで過ごした冬、無職で傷病手当14万円での生活をしていた。


毎日が絶望だった。朝起きても今日も生きているんだと。仕事もできずただただ毎日Twitterと毎日のニュースをひたすら見ていた。外に出てはみんな働いている。私だけが時が止まっていると感じた。


小5あたりから私の人生はどん底だった。某宗教にのめり込んでいた母は私の人生をめちゃくちゃにした発端に過ぎない。クラス連絡網にひたすら電話をかけ宗教の勧誘をしていた。変仏壇を売りつけたり新聞を撮ってくれだとか選挙は○○党に入れてねっていう電話をクラス全員にしたことにより私の小中学生生活はここで終了したのであった。


中学に入るも、私の親がやばいのにわたしもヤバい扱いを受けて集団無視やハブりなどされ学校に行けなくなってしまい鬱を極めた。


なんとか高校に入ったものの入学して3ヶ月で高校を辞めた。同じ中学の奴らがわたしの親のことや宗教の事を言ったらしく高校でも人間関係を築く前に破綻していた。転入試験を受けて通信制の高校に行き高校を卒業した。


卒業後は短期大学に進学し栄養士の免許が取れる学校に進んだ。私が栄養士になろうと思ったのは過酷な家庭環境の中、父方の祖母の家でほぼ育ち、引きこもり不登校だった私に祖母と一緒に料理をして料理の楽しさを知った。祖母と一緒に食べたごはんが美味しくて嫌なことも少しは忘れられた。おいしいごはんがこんなにも人を元気づける素晴らしいことじゃんって、そーいえばしばらく行けてないけど給食っておいしいよなってまた給食だけでも食べたいなと思うようになった。


私も食で誰かを元気にさせたい、喜んで欲しいという思いで栄養士になりたいと思った。高校3年間はラーメン屋で週6のアルバイトをした。貯金は130万くらい貯めた。この130万は上京資金代。通信制の高校でよかったと思った。祖母は年金暮らしだし私がいることで生活を負担させたくなかった。月3万ほど祖母に生活費として渡していた。


地方から都内に来たものの家賃は高いし、生活するのに最低でも20万は必要。それに加え前期後期分の学費を納入しなければならなくとにかく金が必要だった。短大時代のアルバイトはキャバクラのバイトをした。


キャバクラのバイト、想像以上に大変だった。指名や売上がないとクビ。シビアな世界だった。コロナ禍になり働いていた店も休業になってしまった。休業になってしまったということは生活費はもちろん家賃も払えない。終わっていた。せめて家賃代だけでもとダメ元で祖母に連絡したら高校3年間毎月3万円祖母に渡していたお金はずっと貯金してあるから全額振り込むよと。108万が振り込まれた。嘘だろ、ただただ泣いた。おばあちゃん、お金使ってなかったんだ、びっくりした。しかも貯めていてくれたなんて。


そのおかげで勉強に集中できた。無事短大時代卒業し栄養士免許を取得した。続く