あっという間に1年が経ちました。
去年を振り返ろうかと思います

この写真は亡くなる1週間前6月14日写真撮るなら今しかない!って思って撮ったのがまだ元気な方だった母を写した最後の写真になってしまいました…
LINEで写真を母に送ったら「うわ!嫌だ汚いばばぁじゃん!」って返ってきた時はまだLINE返せるし元気だし大丈夫じゃんって思っていました。
化粧もしてない汚い顔の写真ブログに載せるなし!滝汗
って怒られるかもしれませんが先に今のうちに謝っておきます。お母さんごめんね!!!笑笑



積み木を崩していくように日に日弱っていく母を見て少しずつ覚悟をしてましたが…このコロナ禍で面会はホスピスに移動した日主治医の先生と説明を受けた日が母とちゃんと会話できたのを最後に次に会えたのは20日、何故か朝5時頃目が覚めてまだ5時だなぁって思っていたところへ病院から電話が看護師さんから病院へ呼ばれて病室で呼吸が苦しそうにして顎が痩せている母でした。まだ意識はあり苦しくて寝れていないと言って口で呼吸をしていて口が乾いてしまうのでこまめにお茶と好きなジンジャーエールをストローで飲んでいました。家から病院まで1番近かった私バカボンが6時頃、群馬から姉と孫が到着したのが8時過ぎ頃、その後看護師さんから苦しみを取るために鎮静剤いれて楽になりますか?と本人に聞いて頷いたので薬を入れてからは深い眠りについてしまいました。呼吸は苦しそうにしていてこれ本当に楽なのかなって正直思っていました。看護師さんに口が乾いてるのでこまめに水を含んだ綿でお口の中潤して下さいと言われて口に入れた時綿を噛んできたので意識はあるんだなぁと実感しました。 
 お昼過ぎ終末期に見られる下顎呼吸をし始めて後2.3時間か…そろそろかなぁ…と思いながら夕方日も沈みかけの時 適度にやっていた口を潤す綿にも反応を示す事がなくなり足先も冷たくなってきました。
 日も沈み街から夜景が見えてきた頃現役看護師の姉は足のむくみなど見て「さっきよりマシになったねあっちから戻ってきた?」って言っていて本当かよって思ったらちょっと足の体温が戻っていて驚きましたね人間の体って不思議ですねびっくり
 呼吸も次第に浅くゆっくりになってきた頃、早朝から起きていた私は疲労と眠気もMAXで今寝て起きたら死んでましたーだと絶対後悔するなと思い病室のテレビを見ながら眠気と戦いながら時計は日付を跨ぐ12時に、 久々に母と姉と3人だけでいるのは何年振りだろうと考えながら「さーて日付が変わったよー」と声をかけた数分後姉が慌てるようにナースコールを押して看護師が駆けつけ姉と一緒に手を握って娘と息子の声を聞きながら母は旅立ちました。 日付変わったのを狙ってたかの様に旅立った母は絶対何かあるなと思いカレンダーを見たら2021年6月20日は友引で 21日は父の日そして大安でした。そしてさらに狙ったのが確信へ変わったのが姉の携帯番号下4桁が0621だった時は本当最後の最後にすごい事をしてくれたなって今も思ってます。
 早朝母と家に帰ってきて21日のお昼過ぎ玄関のドアが勝手に開いて閉まったと姉から聞いて楽になって自由になった母は、遊びに出掛けて行ったみたいです。

昨日午前中お墓へ行ってきました向かってる最中雨が降っていたのに雨が止んで、 午後姉がお墓へ行った時は暑いくらいに晴れていたようで晴れ女炸裂してましたねグラサン

1年経ったし母のエンディングノートがどんな感じで書いてあったか次のブログでお見せします
個人情報になるところはお見せできないので一部だけですが…
これからエンディングノートを作られる方参考にしてみて下さい