生きてる意味について考えることは私の人生の三本柱の一つと言っても過言ではない。

 

 

具体的に三本の柱が何かと言われれば、今は主に

 

①自分とはどういう人間かを分析する

 

②考え事をする

 

③できること全てをする

 

 

正直この三本柱も月日を経て変わっていくとは思うのだが、とにかく今はこの3つを守っている。

(冷静に考えれば、この柱に私自身が支えられなければいけないと思うのだが、いつか自分を支えてくれる日が来ると願って支えている)

 

 

三つともかなり密接な関係のように思う。

 

 

疲れている時、私はこの3つの守り人を辞めたくなる。

 

 

というかどれかが倒れそうになると総崩れしそうになるのだ。

 

さしずめ精霊馬である。

 

 

もしこれが一つでも消え去れば私はどこへでも行けるけど意思はなく、誰からも知覚されない

 

灰のような存在になるだろう。

 

ふと今日そんなことを考えた。

 

 

金木犀の香りがまた人々の衣替えを誘発しはじめた今日この頃、

 

冷静に考えて日本式の葬式が行われれば

 

結局、溶けるような暑い部屋の中で灰になることは確定なのだと

 

数十分前の自分を罵倒し、数千年前の日本語を褒めた。

 

 

 

ああ、結局灰になるならこの業火の中で燃えたぎってやる

 

そしていつか業火を飲み込む存在になるほうが気が楽かもしれない