ブランディングで世界を元気にっ☆

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ブランド=広告として捉えられがちで、経営戦略などの上位概念として扱われない。
そんな歯がゆさに、もがき抵抗している日々の格闘記録。
 

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実行力。物事を実現する力であるが、その要因について考えてみたい。

どんな物事においても、あるべき理想を描いたときに、その理想と現状とには乖離がある。それが課題という言葉で定義され、さまざまな側面において課題が抽出される。抽出された課題はそれぞれカテゴリーに分類・整理され、まとめられた課題に対して対応施策が検討される。またまとめられた課題は他の課題と比較してプライオリティがつけられる。重要度、影響度が高いものから優先して取り組まれ、あるべき理想に向け実行されていく。

このように「あるべき姿」に向かって、目指す物事を達成するためのフレームが考えられ、そのプロセスを明確化させる。道筋が明確化されることで進むべき方向が定まり、そこへ向かっていくことができる。これを提示することができることが、実行への第一歩であることは間違いない事実である。

一方で、実際に行動に移してみると、予定外のことが多々発生する。それどころか、むしろ予定外のことだらけである。想定していたことの大半が予定通りにいかず、想定していたプロセスはその度に修正を求められる。おおむねそんな状態に陥る。

さて、「あるべき姿」に向かって進むべき道筋を明確化させることは実行に向けた第一歩であることは間違いないのだが、実際に実現させる実行力という面から見ると、ほんの小さな一歩であることが分かる。そう考えると、道筋を明確化させる能力というのは、実行力という能力における非常に小さな要素でしかない。となると実行力を持つための要素とはいったい何になるのか。

繰り返しになるが、実際に物事へ取り組み始めると、ひたすらに予定外のことが起こる。その度に予定外のことに対して対応が求められる。つまり、その度に修正する能力が求められる。何度でも、である。この「繰り返し対応し続ける」ことが、実行する上での大半のプロセスになる。したがってつまり、この「繰り返し対応し続ける」という能力が、実行力の大半を支える要素になるということができる。

しかし残念ながらこれだけでもまだ不足である。なぜか。それは「あるべき姿」へと邁進しそれが実を結んだとき、そこで初めてその「あるべき姿」が正しかったのか振り返ることができる。そしてそれがゴールでなかったことに初めて気づく。必ずそこで新たな「あるべき姿」が出現する。達成したにもかかわらず、また修正が求められる。そしてまた実行することが求められる。またやる。やり続ける。これが実行力の残りの要素である。


詰まるところ、実行力とは「やり続ける能力」の要素が大きい、とても泥臭い能力なのだろう。





何を見据え、何を思い、物事を経験するか。



同じ物事を経験するにしても、人によってそこから感じるもの、得るものは異なってくる。その要因はどこにあるのか。人はこれまでのバックグラウンドが異なるため、同様の物事であっても、向き合い方が異なってくる。そのため感じるもの、受け取るものが異なり、同様の経験が同様の経験でなくする。


これは一人の人でも当てはめることができる。見方が変われば、同じ経験であっても同じ経験ではなくなる。見据えるものが違えば、同様の経験からでも得られるものが変わってくる。

人の能力向上を果たす上で、必要になることは同一の経験を繰り返すことではなく、引き出しを増やすことだと考える。常に新たなものを吸収していき、自分の幅を広げていく。したがって同じ経験を同じ経験にしないことも、能力なのだと思う。視点を変え、感じ方を変え、受け取るものを変える。それが自らの幅を広げることへとつながり、成長をさせる。

見方を変えるには、常に自分の立ち位置を意識する必要がる。自らがどこに立って物事に向き合っているか意識することで、その立ち位置を変えることができる。そのためには物事を「点」で捉えるのではなく、「線」を意識する必要がある。自らの作業領域を超えた範囲を見据え、その中における自らの作業を考える。この寄り方、引き方を意識し変えることによって物事の見方が変わり、得られるものが変わってくる。

別の視点から見ると、「線」を意識し、自らの引き出しを増やすことに努めることが、マネジメントの能力を育むと考える。どれだけ経験を積もうとも、「点」だけを見つめ同じ経験を繰り返しているのでは、マネジメントの能力は育たない。それはなぜか。詰まるところマネジメントとは「関係性」を見出し、「点」を「線」にする作業だと考えるからだ。「線」と「点」、この両面から物事を見ることで、さまざまな引き出しを自らに加えていくことにつながる。




見据えるものが変われば経験が変わる。
経験が変われば得るものが変わる。
得るものが変われば引き出しが増える。
引き出しが増えるから成長する。



 



どんな物事も「点」で完結することはなく、「線」になっている。「線」であることを理解し、その上で自らはどこに立ち、どの部分の「点」に携わっているのかを把握する。物事全体と自らの立ち位置とを俯瞰して見ることによって、「線」における「点」を把握するとともに、他の「点」との関係性を考えることができる。

関係性を考えることの意味はどこにあるか。自らの業務における要素を把握し、俯瞰して物事を考えることによって関係性を意識すると、他の業務とのこれまでにない新たな組合せが見えてくる。それはこれまでの「線」の上に存在する場合もあれば、まったく異なる業務との関係性を発見する場合もある。新たしい組合せを導き出すことは、当然これまでにないアウトプットを生み出すことができ、そこに新たなニーズをつくり出すことができる。これまでにないニーズをつくり出すことは、それすなわち新たな価値創造を果たしている。

アイディアとは多くの場合、既存のものと既存のものとの新しい組合せによって生み出される。これまで異なるものとして捉えられていた両者の間に、それぞれを要素に分解して把握していくことによって、そしてこれまでとは異なる切り口から捉えることによって、両者の間に新たな関係性を発見することができ、結びつけることができる。

物事を要素に分解していく過程においても、俯瞰することが重要になる。分解する作業は「点」の内部に入る作業であり一見すると俯瞰とは対極にある作業に感じるが、しかしながら俯瞰した視点から「点」を捉え、物事を抽象化・汎用化する能力が備わって初めて分解する作業が可能となる。他と比較し同質の部分、異質の部分を分類することで汎用な部分と個別・特殊な部分とを認識することができる。全体を俯瞰した上で「点」と向き合うことで、その内部にある分解された要素を把握することができる。

さらに物事を俯瞰する力は、物事を推進させる能力も向上させる。全体を把握できることにより、自らの領域を超える「点」に対して、どのような形でディレクション・プロデュースすることが望ましいかと思いを巡らすことができる。このわずかな差が、相手の行動を促せるか否かに大きな影響を与える。すべての物事が「点」で完結せず「線」である以上、他社の行動をどれだけ促せるかは非常に重要な要素となる。

俯瞰する能力。物事全体を捉え、「点」を要素に分解でき、他との関係性を導き出せ、新たな組合せをつくり出すとともに、新たなアウトプットに向けた推進を図ることを可能にする。俯瞰する能力、それが新たな価値創造の第一歩になる。



 



大きな変貌と遂げるには、いくつかのプロセスを踏む。

今ある状態を俯瞰して捉え、抱えている問題や今後の課題を洗い出す。そうして出てきた項目をカテゴリーによって整理し、優先順位をつけ、解決方法を導き出す。あるべき姿として、現状から飛躍する企画・戦略を構築することであり、進むべき方向性を指し示す。いわゆる「コンサルティング」がこれにあたると思う。

企画・戦略として導き出されたあるべき姿は実際にカタチとなって実現されなければならない。これは企画・戦略を立案することとは異なるステップである。つまり、当事者としては導き出すことは決してゴールではないのである。あるべき姿を実現させるためには、そのためのプロセスやフレームを考えなければならない。現実と理想とのギャップを把握し、整理し、それをどのようにして埋めていくかのロードマップを考え出す必要がある。一言で表現するならば、「オペレーション」という言葉が適切ではないかと思う。

さて、企画・戦略としてあるべき姿が導き出され、それを実現するためのロードマップも引けた。にもかかわらず、当事者にとってはこれでもまだゴールではないのである。何が欠けているのか、それはまさに「実行する」という部分である。実現に向けて引かれたロードマップも、いざ実行に移せば、あらゆる箇所で想定どおりにいかない部分が現れる。個人それぞれの思い、組織としてのしがらみ、本筋とはまったく異なることでの配慮など、さまざまな考えが交錯する。プロセスにおけるそれら一つ一つに対応し、都度ロードマップが見直され、そうした障害をクリアしていった先に初めて実現が果たされる。一言で言うならば「プロデュース」。これこそが現状からあるべき姿への変貌を遂げる中で、最も困難な作業だと思う。

このプロデュースという領域は、思いのほか重要度が低く見られがちである。きちんとした戦略があり、それを実現するためのロードマップが引ければ、そこから先は遂行していくことで自然と実現を果たすことができるかのように人は考える。残念ながらそんなことはない。むしろ最も難しい。なぜならば関与するすべての機械でなく人間だからである。多くのしがらみの中でいかに実現させるか。改めて見直されるべきスキルだろう。

人間だからこそ様々なことを思う。それは障害になることもあり、一方でとても大きな推進力にもなる。こうした人の思いを汲み取り、ひとつの方向へと束ねることが飛躍の原動力であり、それを果たす役割こそが、プロデュースの力なのだと感じる。





ゼネラリスト。いろいろな領域の知識や能力をもっている人。ビジネスの世界では、特定の領域ではなく複数の領域においてある一定以上の知識や技術を持ち、横断的な業務を多く行われている。

今日において「ゼネラリスト」とは専門領域を超えた知識を有するため、非常に上位の能力であると考えられているように感じる。もしくは経営に近い業務に携わる機会が多いからかもしれない。各専門領域を「管理する」ことこそがゼネラリストの業務であると考えられているのではないかと感じる。

しかし個人的にはこの「ゼネラリスト」という言葉の理解は異なる。つまり「ゼネラリスト」も一種の「職種」に過ぎず、したがってゼネラリストとして経験を重ねていくことも一つの職種を突き詰めたことに過ぎないと考える。「ゼネラリストのスペシャリスト」という言葉がすべてを示しており、「スペシャリスト」ということはあくまで専門家に過ぎないのである。今日の理解では、ゼネラリストはさも全能であるかのような勘違いをし、各専門領域をコントロールしようとし始める。これは大きな間違いであると思う。

ではゼネラリストという職種の業務はいったい何なのか。それは2つあると考えており、一つはサプライチェーンにおける専門領域間の調整、一つは専門領域における汎用性の向上ではないかと考える。

特定の領域でなくまたがった複数の領域の知識を有するからこそ、領域間がどのような関わり方をすることでコミュニケーションコストを低減させることができるかを把握、実践することができる。

また汎用性を向上させることがゼネラリストの業務であると考える理由は、まず必要性において汎用性を向上させることは領域・人のどちらにおいても、その最低ラインを向上させることにつながり、確実な業績向上につながると考えるからである。そしてゼネラリストであるからこそ専門領域におけるどの部分が汎用的な部分であり、どの部分が専門的な部分であるかが理解でき、専門領域を汎用化させることでその領域での「人」による差分の低減、また水平拡大による他の領域での業務向上を行うことができる。これがゼネラリストという「職種」の業務ではないかと考えている。

最近感じるイメージとして、ゼネラリストとは「枠組み」や「幅」を規定することが業務なのではないかと思い始めている。これはあくまで現段階においての考えである。またこうした「結果を把握しにくい業務」を行うことの難しさなど、別の問題も多い。そうしたことも含め、今後も考え進めたい。