ブログにお立ち寄りいただき

ありがとうございます。

本日は、リブログです。

 

image

まず、最初に、リブロク先の記事を

ご覧いただけたらありがたいです。

 

書いていらっしゃるのは現役で子どもたちを指導していらっしゃる方です。

その言葉だから、やはりうなづいてしまうことも多くあります。

簡単に言うと、

「東京都の決定で来年度の都立高校入試は内容を一部削減して行う」

という都の決定に対し非常な不安を覚える、という記事内容です。

 

これを受けて同じような受験内容にする道府県が出てくることは予想できます。

それに対して産業界から反対が出ないのがとても不思議なのですが、

それを言ったら言いすぎでしょうか。

今回の場合、一番の問題は「数学の三平方の定理を受験内容から削減する」

ということではないかと思います。

 

この、

「三平方の定理」

は公立高校の受験内容の中では難しい部類に入ります。

それを受験内容からカットする、というのが問題なのです。

 

三平方の定理自体は決して理解できないものではありません。

三平方の定理が理解できるから人生が劇的に変化するわけではありません。人生は人生、淡々とつづいていくだけです。


数学にかぎらず、高校入試は

目に見える形で提示されているものを理解しようとする力

わからないものをどう消化するか、

人生において、そういった力をつけるのに役立つくらいです。


三平方の定理ができたからと言って本人の情報処理能力が変わるわけではありません。

 

問題は高校受験で

「戦い方を学んでこなかった子」(性格的にはとても素敵な子が多数いる)が

いざ実社会で働こうとするときにあるいは大学受験で希望の学部に進学しようとするときに

 

はしごを外された状態

(問題の処理の仕方がわからない、わからないことをわかろうとする力がない状態)で

戦わなければならない、ということ。

記事内にもありますが、

「三平方の定理は自学出来ないものではなく」「塾などではすでに教えてもらっている子が相当数いる」

のです。教育格差はすでに存在しています。

さらに言うなら

何年かしてこの子たちが実社会に出たとき、

ひどい目を見るのはおおむね善良な「新人を指導する側にいる人たち」なのですよ?

 

そこまで考えての決定だとは思えません。

 

 

今回のコロナ騒動は避けようがないものでした。

 

ですから、受験内容を削減する、というのは上層部にしてみれば仕方がないことなのかもしれません。

 

上層部は生徒の学力だけではなく、その生徒を指導する立場の先生の

仕事内容まで責任を持たなくてはならないですから。

 

 

受験内容を削減するなら学力をどこで補うのか、

どのようにして「自力で仕事を進めていく人間」に生徒を近づけていくのか、

ある程度の指針は必要かと思います。

 

 

それもなしで受験内容を削減した、では、ちょっと困ると思うのです。

 

目先の負担を一時的に軽くしただけで教育格差をなくすことにはつながってないし

人間の成長につながる、本来の意味の教育から外れている面も出てきているのでは、

と、思ってしまいます。

 

悪く言うなら、

「(見せかけの)ゆとり教育の再来」です。

祭りが終わった後、さらなる混乱が待ち構えていることでしょう。その時、自分の子どもはどうなるのか。

 

すべての保護者が

考えるべきことではないでしょうか。

 

 

 

 

 

経済が停滞してしまって大変なのはよくわかります。

これからどうなるか、国としてはまずそこから動かなくてはならないでしょう。

 

実際、国も都道府県も各自治体もいろいろやっておられると思います。

すぐに必要な事、

順次必要な事を順番にする。

早急にやる必要はないけれど、準備しておくべきこともあるでしょう。

教育は、この

「急がないけど、準備を進めておく事業」

の部類に入ると思います。

だからこそ、教育内容の安易な削減は考えていただきたいのです。

さらに言うなら未来へのヴィジョンが見える指導方針であってほしいと思います。

 

教育は単なる事業ではなく、未来への投資です。

内容削減するなら、それを補完することが

必要ではないかと思うのです。

 

子どもに対して、親としてできること、

それは子どもを真剣に応援すること。

 

私の子どもたちも微妙な年ごろです。

今後どうするのか、親としての覚悟を迫られています。

 

長い記事をお読みいただきありがとうございました。