ブログにお越しいただき

ありがとうございます。

本日は

いつもより真面目な

教育系の記事にしたいと思います。image4.jpeg

オッドアイ猫「長女のイモコです。

中2です。

 

これは先日買った

『鬼滅の刃特装版』

のポストカードセットを
ラミネートしたものです。
これは私がしました!
写真ではわかりにくいですが
ラミネートフィルムを
出来る限り、まっすぐ、切り落としました。
自己満足ですが
きれいにしたかったのです。
 
かーちゃんは喜びました。
 
それを見てると、うれしかったけど
ちょっと複雑…。
うちのかーちゃんは
鬼滅の刃依存症なわけですから。
もう少し、まともな おかーさんが
欲しかったです。」
 
うさぎ「ちょっと!
今日は真面目な記事じゃなかったの?」
 
てへぺろ「真面目な記事だよ?」
 
うさぎ「真面目な記事なら、
さっさと書きましょう!
 
あ、自己紹介するの忘れてた!
私は次女イモミです。
小学校5年生です」
 
ニコニコ「本日は、こちらの記事を
ご紹介したいと思います。
いつもお世話になっている、
『地頭を鍛える学習教室』の
金森先生のブログ記事です。」
 
 
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さてさて、
今回、各方面を巻き込んで
国内で自粛生活を
余儀なくされたわけですが
 
一応、日常が戻ってきそうな
めどは立ったわけです。
 
(日常ってありがたい、と
本当に思いました。
平穏、って当たり前じゃないんですね)
 
大人は仕事に
子どもは学校に。
 
そのすみわけが、できるような
環境が整ってきたのですが、
 
 
ここで一波乱起きそうな予感。
 
仕事も学校も
以前のペースで、
以前の実績を求められる。
 
今までと同じ結果は
少なくとも今年は
出せそうにないわけですから
どこかで無理がでる。
 
大人はまだしも、子どもはねー。
 
オトナと子どもは違うので
子どもにも以前と同じことを
求めるのは、酷だと思うのだけど
 
今の学校は
休校前に予定していた
新カリキュラムを何とか軌道に乗せようと
がんばっておられるような気がするんですよね。
 
そのために、いろいろカットするようです。
娘達の学校でも
水泳の授業がなくなると
連絡がありました。
 
他にも、学年によって
カットする内容が違うようです。
 
そして、
国語、算数の授業数は
増やされると予想されています。
其のことについて今はまだ
学校からは何も
連絡はないのですが
そのうちあるかと思います。
 
オッドアイ猫「でも、その国語の内容って
漢字も入るのかなあ」
 
えー「はいるでしょうよ」
 
うさぎ「漢字かあ。
学校で自習のとき,
ノートに何ページも書かなきゃいけなくて
すごいつらかったんだよね」
 
ショボーン「漢字の書き取りが
悪いとは思わないけど
量によるんだよね。
 
一つの漢字につき2回まで
一日に全部で5文字までだったら
そんなに弊害は出ないんだけど
 
ノート一杯に書き取りすると
頭が痛くなるんだよね。
 
今回うさぎと宿題のことで
喧嘩になったので
うさぎと同じだけやったんだよね。
 
そしたら、視界が歪んだ…」
 
オッドアイ猫「そんなときに車の運転しちゃ
だめだよ!」
 
えー「ご心配どーも。
車の運転はしなくてよかったから
いいけどね。
 
こんな風に、宿題が増えたり
座学ばかり増えたりすると
子どもの理解力は落ちると
確信してるんだけど
 
それをわかってもらえないのが
つらいねえタラー
 
うさぎ「宿題してたら
アタマ良くなるんじゃないの?」
 
えー「いやあ、そうとばかりは
言えないんじゃないのかな。
宿題は課題でしょ。
 
課題、と付いた途端
頭がカチカチになる子もいるからね。
 
 
子どもが喜ぶ宿題は
「お母さんの一日観察日記」
くらいじゃないのかな。
まあ、これを本気で宿題にしたら
先生はクレームの嵐だろうけど。」
 
オッドアイ猫うさぎ「うちはやってもいいよ!」
 
ガーン「それは困る…私は困るガーン
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子どもを育てるのは、親です。
子どもは親の言葉を
忠実に吸収します。
 
 
ある程度、自由があれば
親がひどい人でも
子どもは自分で
軌道修正できます。
(なんせ、人類は80億人いるのですから)
 
が。
 
今は、日本の子どもに自由はありません。
 
大人に作られた枠の中で
かなり息をひそめて暮らしています。
 
言われたとおりにやることに
心血を注ぎ、
わずかな楽しみを刹那的に味わい
 
一瞬で燃え尽きる子もいます。
長期的な視点がない子もいます。
半面、しなやかに伸びていく子もいます。
 
これからは、いままでの大人の意見が
通用しない世界でも
暮らしていかねばなりません。
その時、子どもたちはどうするのでしょう。
 
わたしたちは、それを
子どもに考えさせる時間も手段も
彼らから盗っていないでしょうか。
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現行の学校というシステムは
大量学習をさせるのには
向いています。
いわば、一定の質の仕事をさせるために
必要な基礎を獲得させるための制度です。
 
たとえは悪いですが、
ブロイラーを大量に
ケージ飼いして出荷するのと同じです。
 
予定調和的に安定して
子どもの能力(と思わされているもの)
は、育っていきますが
 
 
アクシデントには弱いです。
 
 
また、自分でどうにかする、という力は
あまり望めません。
 
 
生活力というか、
自活力というか、
そういったものは
己の中からしか生まれてきません。
 
そしてそれは、現行制度の中からでは
望めません。
 
親が自分の体と人生を使って
子どもの人生に
影を落としていくしかないのです。
 
選んで生活していくのは
子ども自身です。
親は、それを応援するだけです。
 
自分で覚悟するしかないのです。
 
 
うさぎ「ご立派な意見だけど、
今のかーちゃんには
無理があると思います。
だって、最近、鬼滅の刃以外の話題、
ほとんどない!」
 
オッドアイ猫「ほかの話題も多少あると思うよ?
だって、この間、
昼ご飯のおかずが
トンテキがいいか、餃子がいいか
聞かれたじゃん!」
 
うさぎ「そうだったね。
じゃほかの話題は?」
 
オッドアイ猫「…汗
ま、ま、いーよね。
今日の記事は、これで終わろう!」
 
うさぎオッドアイ猫「長い記事をお読みいただいて
ありがとうございました」