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小学生女子2人の

毎日の生活を記録して居ます。

 

本日は読書メモ、

「英会話不要論」

「英語化は愚民化」

です。

 

のっけから、穏やかでない、タイトルの本です。

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私達は英語は中学から学んだ

人種です。

昭和のとーちゃん、かーちゃんは

一般的にはそうではないかと思います。

 

 

でも、いま小学校6年生の長女は

「英語は教科」

であり、小学校3年生の次女は

「外国語活動」

として、英語、英語文化に触れています。

 

内容的には

「会話、聞き取り中心の英語科」

となるかと思います。

ですから、今の小学生の習い事に

「えいご」

が入っているのも無理ないと思います。

が、しかし!

 

その「英会話」がいらないという。

それが「英会話不要論」なわけですが、

・・・なんだか穏やかではない。

本はこちら。

 


わ!これ、電子書籍もあるんだ・・・チューホシイカモ

 

 

この本、一気に読みました。

穏やかな語り口、

読む人を飽きさせず、考えながら

読み進めていける内容で

とても好感が持てる文章でした。

作者の行方昭夫(なめかたあきお)先生は

東大名誉教授、東洋大学長を務めてこられた方です。

また、長年、英語翻訳の指導にも携わってこられた方です。

読んでいて やっぱりね、と思いました。

 

まず、申しあげておきますが

著者は「英語教育」を否定しているのではありません。

「英会話教育」に関して、

今一度考えを改めたらどうか、と問うているのです。

 

前書きでこう書かれておられます。

「辛抱強く学ぶ意欲がないのに

また、語るべき内容も持たないのに

何が何でも英語をしゃべりたい、ということこそ

可笑しいのです」

 

 

第1章「英語と日本人」はこの視点で書かれています。

 

私はこの本を

「人がどのように、母国語を話すようになるか」

という視点で読み進めていきましたが、

あらためて「話したい意欲」がないと

人間は話せなくなる、ということを思いました。

話したいという気持ちがあってこそ、

単語も覚えるし、言い回しも覚えます。

 

自国語の獲得も完全ではない、

小学校中学年に英語の教科化は

無理が出てくるのではないかと思いました。

家庭内で日本語が話されており、

周りもほぼ、日本語中心の環境では

 

英語を話す必要性があまりない

 

のです。この中で,「英語の教科化」をしても

子どもにとっては「押しつけ」「負担」に

なるのではないかと思います。

また、今の授業の形態を考えてみると

簡単なゲームや穴埋めパターンを繰り返して

いるような感じです。

現場の先生も大変だと思います。

もしかしたら、苦労が多くて、教師、児童

双方の苦労の割には

実りが少ないと感じているのかもしれません。

 

また、会話中心の内容では、子どもたちが

文化の相違まで気が付かないかもしれないと

思っています。

 

内容的に一部重なりますが、

第2章では

「名翻訳者でも、違う文化の壁に阻まれることがある」

と書かれています。

この本の中では、ドナルド・キーン先生の事にも触れていました。

 

★行方センセイは日本語から他言語への翻訳において

「普通の日本人なら犯さない間違い」

と思っておられることを「翻訳者」がすることもあると

言っておられましたが

・・その日本人の日本語力が

怪しいかも、と思っているのは

多分、私だけじゃないんだけどなあ。

余談だけども。

 

さて、もう一冊です。

 


・・これも炎上しそうな内容ですねえ。

筆者の文章は、ネット上で拝見したことがありますが

面白い文章を書かれる方だと思います。

ちょっと過激なタイトルではありますが

それも本に目を通してもらうためだと思えば

納得がいくもの。

 

この本の中では

「ラテン語」「土着化」「翻訳」などが

繰り返し出てきます。

西洋の文化の発展において避けて通れない視点です。

「ラテン語」が持っていた、学問としての言語を

「各地の言語」に翻訳することで

学問の裾野が広がり

近代化が推し進められた、ということはある、

と思います。

これは明治以降150年の日本も含まれます。

 

また、「グローバル化」「英語化」について

1章が割かれています。(第4章)

その中で

「言語の分断」[グローバル化がもたらすもの」

について書かれています。

また「母国語を封印することはどうなることか」

についても考えさせてくれます。

 

自分自身を振り返ると

日本語文化圏の中で日本語を話して育ちました。

その中で、日本文化に触れながら育ちましたが

それに対して誇りを持てたかというと

そうではありませんでした。

日本文化に対しての誇り、というものは

大人になってからしか、持つことができませんでした。

その理由も、この本を読んでわかった気がしました。

東京オリンピックもあることですし

「英語化」「英会話大賛成」という流れは

簡単には変わらないでしょう。

また、多数の国々との交流、折衝などは

避けようがない時代です。

ですから、英語を学ばないわけにはいかない。

けれど

英語を身近に、ではなく、

日本国内において

英語だけを仕事に使うという流れは

また、違うように思うのです。

仕事をするうえで、意思の疎通は欠かせません。

それをするのにふさわしい言語は何か、

という視点で考えると、

また仕事の見方が違ってくるように思うのです。

 

長い記事にお付き合いいただいて

ありがとうございました。

 

★今回この2冊は

講談社α文庫「LINEで子どもがバカになる」の

中に参考資料として紹介されていたものです。

英語力向上の向上のためには

日本語の力をつけなくては、ということを

この2冊であらためて感じました。

英語力だけではなく、一人の人間として

自分の国の歴史、文化、経済、社会的なことを

考える、話せることが大事だと思うのです。

英語が、そしてほかの、母国語以外の言語が話せても

中身が薄っぺらでは

自立できないと思うんです。

話ができても、中身がないのでは、

・・・ね。