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小学生獅子二人の

いや、

小学生女子二人の

日常言動を綴るブログです。

本日は読書メモです。

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うちは、夫も私も

 

子どもの携帯電話は子どもケータイで!

 

ということは意見が一致している。

長女の中学進学を控え、

長女自身とも

携帯電話の在り方を話してきた。

 

先輩ママに聞くと

「中学でスマホを持つのは当たり前」

のようなので、

正直、戸惑っている。

 

 

長い文章を理解できない、

聞いた指示がわからない、

話を聞いても忘れてしまう。

 

 

自分の子どもがそんな状態なのに

スマホを持たせるのは

とても不安だった。

それに、長女も次女も

単語で会話することが増えてきていて

それも不安の種だった。

 

 

「日本語わかってないやん!」

と、子どもたちに何度言うことか!

 

 

そんな中で目に留まったのが、

 

 

LINE だけが悪いわけではない。

それを頭に入れて

読み進めていった。

 

子どもたちに対して

LINEで要求される速さ,早さ、迅さは

早すぎる。

 

早すぎる時間の過ごし方は

時間を消費する、ということに

つながらないか。

それは見方を変えると

自分の中に向かい合う時間を

減らしてしまうのだと思う。

 

大人も忙しすぎると

自分の内面を見直す時間を

面倒がるようになる。

それと同じでは?

 

さらにそのまま放置しておくと

どうなるか?

小学生くらいの時期だと

価値観が育ち切らないままに

大きくなってしまうのではないかと

思っている。

 

 

一番いいのは

子どもにスマホの

メリット

デメリットを説明し

どうするか、

どのように使うか、

様々なケースを想定し

それに対処できるような

マニュアルに想定できるようなものを

親子で作ることだけど

 

 

そこまで到達できていないのが実情。

 

 

日本語圏で生活していて

日本語を使って生活しているのに

 

日本語を理解していない。

(それは私のほうかもしれないけれど)

 

日本語の微妙な感覚が

感じ取れなくなっている。

(我が家だと次女がそう)

それは、危険だと思うのだ。

 

母国語の微妙な感覚というのは

時代や環境によって変わってくるけれど、

根本にあるのは

「言葉と感情、言葉と結びついた思い、納得感」

だと思うので

言葉と感覚の結びつきが弱くなり

ばらばらになったら

 

本人の知的構成をなすものも

崩壊するような気がしている。

 

文章を書かせてみること

第三者の前で話をさせてみること

どうしたいのか具体的に説明させてみること

 

このようなことをさせてみると

日本語の理解が貧弱なレベルで

とどまっているのがわかる。

 

 

そうなった要因はいろいろ

あるけれど、

小学生のうちは

親子で話し合う余地があると思うのだ。

 

長期的な視点では

母国語を話せなくなった

(理解できなくなった)子が

親になったとき、

 

微妙な感情の綾を

次代の子どもに伝えていくことは

難しいのではないかと思う。

そうなると、次世代の子が

文化を肌で感じていくことは

難しくなっていくと思う。

 

あまり難しく考える必要はないのかもしれないが

今一度、考えてみてもいいかと思う。

 

 

…とか書いているが、

長女にも次女にも

 

「子どもに対する要求度高すぎ!」

とか言われているので

この辺でとどめておこうと思う。

でもさ、要求度は高くなるんだよね、

どうしても。

子どもが18歳になったら

手を放そうと思うとさ。