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ありがとうございます

 

小学生女子二人の

日常の記録を綴っています。

 

 

 

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うちの娘たちは

単独だったり

二人一緒だったり

その時々で違うけど

一日のうち、わずかな時間は

子どもだけで過ごす。

(学校の登下校は子どもたちだけで行くけれど

学校の授業時間としてとらえているので

子どもたちだけの時間ではないと思っている)

 

それも、家の外で。

 

他人から見たら、娘たちは

眉をひそめることもやっているかもしれない。

また、変質者などの対策は

していないのに等しいので

子どもを危険にさらしていることになる。

 

 

 

だから、夕方、無事帰宅したときは

心底ほっとする。

ここまで我慢せねばならないものなのか、と

考えることも多い。

 

 

夏に向かって、

日は長く,着る物は薄くなる。

親の心配指数は上昇する。

女の子がいる家庭では

どこでもそんなもんだと思うけど。

 

 

何かあってからでは遅い。

外に出さないようにすることにしよう!

ということで

子どもを囲ってしまったらかわいそうかな、

とも思う自分がいて

 

娘が被害にあったら嫌だし、と思う自分もいて

 

いつも葛藤する。

 

 

 

夏休み位になると

公園には高校生カップルが

暗闇に潜んでいたりすることもあって

正直、どうなんかなーと

思うこともある。

 

 

じゃあ、自分は、子どもたちに対して

どうあってほしいんだろう。

実際に自分が見せている行動は、

なんだろう。

 

 

冷静に振り返ってみる。

 

 

 

年齢以上にさせていることは、ないか。

自立する、という最終目的から

外れていることはないか。

子どもがしたいことに対して

十分に取り組める時間が

確保できているか。

 

外遊びの時間もとることを考えると

もう少し何とかせねば、と思うこともある。

 

 

 

もし、「どんぐり問題」を

取り入れてなかったら

絶対できない生活なので、

ここは外せないのだが

 

ほかのことは、まだまだ改善の余地がありそうだ。

 

といっても

こちらの押し付けになっては

いけないと思うので

自分と、子どもたちとの

話し合いかな、とは思っている。

 

長女とは、ほぼ、大人の会話。

メリット、デメリット、リスクを説明したうえで

こうしてほしいけど、どうする、という

感じの話をする。

勿論、長女は自分の意見もあるので

それも条件として入れておく。

 

次女はここまで行かない。

まず、方向性を説明したうえで

こうなってほしい こうやってほしいと話す。

具定例を挙げながら

説明することもある。

本人がしたい事を確認しながら

話をしていくので

思ったより時間がかかる。

 

 

 

自分自身が成長期において

親からたくさん制限がかかってる状態で

育ってきているので

子どもたちがどこまでできるのか

見極めが難しいのだが

それも踏まえて話す。

時には何日かにわたって

同じテーマで子どもに問うこともある。

勿論、私も子どもから問われる。

 

どんぐり生活でよかったと思うのは

こういうことに対して

「自分ならどうする」

「周りの人はどうしていたか」

そういうことを 子どもに聞く時間が

多少なりとも取れること。

 

子どもの話を全面的に

鵜呑みにするわけにはいかないけれど

話を深く掘り下げて聞くことで

子どもがどうしたいか

探ることもできる。

 

 

ついでに言うなら

どんぐり問題を続けて

解いていくことで

「順序だてて話す」

「話の内容を整理することができる」

力が付いたようで

わかりやすい話を聞くことができる。

(この力は、おまけではあるが ありがたい)

 

こういった能力は年とともに

ついては来るものだと思うが

生活の仕方によっては

全く伸びないものでもある。

また逆に、各方面へ伸ばせるものでもあるだけに

生活、教育の在り方で

大きく変わるものでもある。

 

他人に任せっきりにしたのでは

ここのところの微調整が

うまくいかないと思うので、

保護者はやり方を熟慮しなくてはならない。

これが糸山先生の言われる

「覚悟を決める」

ことだと思っている。

つまり、子どもの将来に対して

責任を持つ、ということ。

『育てたように子は育つ』のだから。

 

 

私は、自分の子どもを

穏やかに育ててはいないので

それなりに 

いろんな言葉が還ってきても仕方ないなあ、と

思いながら過ごしている。

それでいいと思っている。

 

そして

どんぐりで育てた子どもたちが

どんなふうに育っていくか

見る機会が与えられたことを

糸山先生をはじめ

いろいろな方に感謝していこうと思っている。

 

まだまだ、言葉の通りには

出来ていないけれど、

これも自分自身との付き合い方なんだろうなあ、と

思いながら過ごしている。

 

娘たちとは

「過保護にならないように、

過干渉にならないように

独立後はフラットな関係であるように」

いたいとは思うけれど

遥か長い道のり。

 

すべてのことを

悲観せず、あきらめず

味わっていけば、いいのかもね。

 

お読みいただき、ありがとうございました。