「お母さんはしつけをしないで」

意味深なタイトル。

 

 

うちの娘たち、

小5と小2だけど、

 

「しつけって、なに??」

「悪いことして かーちゃんが 怒ること??」

なんて言いそう。

 

 

 

 

怒ることは、しつけではない。

 

 

 

つまり、子どもに対して怒った地点で

私がしているのは

しつけじゃないってことです。

 

 

 

つまり

しつけが必要なのは、

ワタシのほうですね。

 

 

 

わかってるんだけどね。

子どもに対して

しつけはしていない、って。

 

 

ワカッテイタラ ナントカシテヨ

子どもたちの悲鳴が、聞こえてきそう。

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「こうあらねばばらない」

「こうでないと、文句を言われそうだ」

 

 

その枠が 自分の中にあるのを、

強く感じる。

 

ほかのことでいっぱいいっぱいだと、

その枠が自分に迫ってきそうな

錯覚さえ覚えることがある。

 

そして、その枠内に

収まらない子どもたちに対して

言いようのない

感情を抱いてしまうことがある。

 

私はかなり極端な例なのであるが、

こうならないためにも

親世代に、そして、そのまた親世代に

一度は読んでいただきたいのが

こちら。

 

 

人間社会に生きている以上、

ある程度の規律は必要だし、

法を順守することで

お互いの生活が成り立っているのは

当然である。

 

だから、しつけが必要、となるのが

「育児書」の

言わんとするところなんだろうけれど

 

 

 

 

ちょっと待っていただきたい、というのが、本書。

 

 一読して、

どんぐり理論とよく似ているなあ、

と感じました。

 

 

 

 

本書の

「しつけをしない」

「子どものペースを守る。」

このあたりですね。

 

 

 

なぜなら、

「しつけ」が「管理」

に、なってしまっているのが

今の子育てだから。

 

目に見えない枠があって

そこにはめ込めるように

子どもを整えていくのが

「しつけ」と呼ばれているような気がする。

 

 

 

 

勿論、最低限のことは

教えていかなくてはならないけれど、

それは、

人としての大事なこと。

自活するための決まりだったり、

 

 

 

人の命を大事にすることだったり。

人の命って、みんなの命、だよ。

自分の命、も だよ。

 

 

虹虹虹晴れ晴れ晴れ雪の結晶雪の結晶雪の結晶

命を大事にする。

それは、親が、子どもに

伝えていかなくてはならないことのはずだけど

 

 

なぜか

隅っこに追いやられているような

気がするんだ。

 

 

 

 

子どもの、いのち。

大事にすることはもちろん、

お互いが尊重しあうこと。

 

そういった想いが

命の重さ、輝きを増していく。

 

しつけも生教育(性教育)も

老いや何もかもが

そこに集約されていくような気がする。

 

ちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょ

 

 

閑話休題。

 

今はネットで

あらゆるものがさらけ出されてしまう時代。

だから、

あらゆるものが

世に出てしまう。

 

だから、子どもたちにネットの教育を、

とかいうのはわかるけど、

 

 

その前に、

ボロボロになる前に

 

立ち止まって

体と心を

休めるところを作っておく。

 

それが、子に対する

親の役目の一つじゃないかな、と

思います。

 

しつけうんぬん、いう前の。

 

 

特に、親の側が

子に対して愛情をもって

「こうすべき」

という,一つの型を子どもに示した場合、

注意が必要です。

 

 

 

親の示した型に

問題なくはまれば

子ども自身はすんなり伸びていくのでしょうが、

 

 

 

そういうケースがすべてではない。

 

 

そして、それまでの教育によって作られた、

完全主義の親たちが

そこらじゅうにいると思われる現在、

子どもが 

親の提示する枠の中に

入ってしまわないようであれば、

 

 

必要以上に介入してしまいやすい

それが現代の育児の問題点の

ひとつだと思うのです。

 

 

以前の私もそうでした。

(いや、今もですね。)

 

長女は良くも悪くもマイペースで、

自分の興味のあることしかしないし、

課題をするということに関しても

すぐには取り掛からないし、

 

これでは学校に行ったときに困る、

一定の枠内で動けない

運動が苦手、

人の話を聞いていない、

 

そんなことが私を焦らせていました。

 

 

 

 

もっと早く、知っていたら。(°д°;)

 

 

 

「どんぐり理論」や

この本、また著者の長谷川氏を

ちゃんと理解していたら。

そう思います。

 

 

この本には、

おそらく

「フツーの親」が満足しないところが、あります。

 

一番、「常識ある」親からは

ご意見が舞い込みそうなところです。

 

それは

「子どもの勉強」の項目です。

 

 

 

 

この本でも、「幼時から小学生まで」

という期間限定で

「子どもの勉強をあきらめなさい」という

項目があります。

 

 

この場合の「勉強」は

主に成績のことだと思います。

 

 

 

今の親御さんたちは

確かに勉強に目が行きやすいので

子どもに余計なことを

言ってしまいやすい。

 

 

 

・・・ドキ。    ( ゚∀゚; )タラー

オヤノキモチハ モノスゴク ヨクワカル。

 

 

世にあまたある、さまざまな学習法は

スモールステップの方法を

採用しているところが多いと思うので、

「一足飛びに本質に触れる」方法を

わからない、わかりたくない方も多い、

・・ような気がする。

段階ごとに課題をクリアさせるのが

親の愛情だと思っている人が多いから。

 

 

 

 

 

子どもを愛している、

かけがえの、ないものだと思っている。

その、うつくしい、親としての愛情。

 

 それゆえにおこる、

親の側の、好意からの

「アドバイスという名の型の押し付け」

も子どもの心に、重荷になります。

 

 

「よかれと思って」

「あなたのためを思って」

 

 

その言葉が

子どもの心を何年

苦しめるか、知っているでしょうか。

 

 

 

知っていたら、言えないはず。

(多分、私は、娘たちには あまり言ってない。

いまだに苦しんでいるから)

 

 

しつけは、行き過ぎてはいけない。

行き過ぎた地点で

パワハラと同じだと思うのです。

 

 

必要な決まりを伝えたら、

子どもの主張を聞くように努める。

 

これで、だいぶ変わるのではないかと思います。

 

 

 

それが、本書の

「お母さんはしつけをしないで」

というタイトルにもつながると思っています。

 

 

 

 

 目には目を。

 

この言葉、子どもはよく

わかっています。

 

小学校高学年になったから

中学に上がったから

高校に行ったから

反抗期だから

 

反発するんじゃなくて、

やられたからやりかえしているだけ。

 

しつけと言う名の

パワハラを受けたから

返しているだけ。

 

 

それがわかれば

対応も違ってくるし、

親子での

心地よい人間関係も作りやすくなる。

 

 

そして何より

成長して、

似たような言葉を

他人からかけられても

冷静に対処できる可能性が増える。

 

 

だから、しつけはゆるく、

根本を押さえるだけにする

 

丁寧に物事に取り組む、

 

子どもを見守る、手出しをしない、

 

怪我をしないなら、ある程度は好きにさせる、

 

 

そういう意味で

親は、子どもの

応援団であり、

保護者であり、

子どもが独立してからは

一友人でいられると思うのです。
 
 
 
子どもはいずれ、巣立ちます。
そのために今、何ができるか
そのことを子ども自身と
話し合えるような、大人でありたいと思います。
 
小2の次女も
小5の長女も
もっとちゃんと、
いうこと聞いてやらんとあかんのやけど、
なかなかなーーーー。(・_・;)

 理想と、現実の、間にある

細くて 深い溝。

深すぎて、そこが見えないワ!