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子どもたちと話していると、いつも発見がある。

 

自分の子どもでも 全然別の世界が広がっていて

違うものを見ているんだなあ、と感じてしまう。

 

娘たちにしてみたら、

 

 

「いつもちょっと はずれて ずれている かーちゃん」

 

なので、時々、友達とのすり合わせが大変なようだ。

 

 

テスト百点でも、あんまり褒められないし、

 

創作系の遊びも 外遊びもしたくない、というと

「ご飯くらい作って!」

「掃除機くらいかけて!」

と家事をさせられそうになるし

(しかも、逃げると、追っかけてくる)

 


時間割を合わせないまま、ランドセルを放置しておくと

ランドセルはどこかにしまわれちゃうし

 

うちにテレビはないし

 

本を読んでいて 返事をしないと

本は没収されてしまうし、

 

「考えない勉強ばかりしていても 満点馬鹿になるだけで

将来困るんだからね!」

ことあるごとに言われる、うち。

 

さらに

母が何か思いついたら、

とりあえず、聞かなくてはならない。

聞かれたことが

「晩御飯のおかず」のことならいいけれど、(たいていはこのレベル)

子どもから見たら

「何かわからない」

時もあるので、それは困る。

 

 

…自分で書いていて なんだか娘たちがかわいそうになってきてしまった。

嗚呼、ごめんよ。

 

 

 

子どもの成長は待ってくれない。

 

 

 

ことに、高学年になると

体のほうの成長が著しいが

心も見えないけれど、成長しているので、

 

 

いつの間にか 手の届かないところに子どもがいたりする。

 

 

そのころにはからだの変化を

親には言わなくなってくる年ごろになっている。

 

心の変化も激しくて、

親に使う言葉を惜しんでいるような気がする。

 

 

子どもたちが得ている情報も

必ずしも正しいとは限らないし

それをきちんと判断できない年ごろでもあるので、

ちょっと厄介になることもある。

 

 

正しい情報と経験を、どのように、子どもが体得していくか、

それは、この時期の課題でもあると思う。

どの子も通る道、

そして、誰もが違う道。

すんなり通れる道だけじゃなくて、

出口がどこに続いているか、誰もわからない道。

 

 

子どもを取り囲む迷路はそれだけではなくて、

大人の挙動が 子どもをさらに迷わせる要因となることもある。

 

加えて、

「早くしなさい」

「ちゃんとやりなさい」

「間違えずにやりなさい」

 

大人の

そんな言葉が、崖っぷち迷路に追い込む。

 

 

さらにやっかいなことに

いまでの年配者は ことさらに

子どもに完璧を求めたがる傾向があるような気がする。

 

うちもそれで

親子ともに苦しんでいるのだが、

それは、上の世代からは、見えないことが多くて、時々つらい。

 

 

「置かれた場所で咲きなさい」

は、真実であるけれど、

「置かれたようにしか咲くしかないんだよ」

というのも、また真実であると思う。

ただ、変わることはできるので、

それをどのように伝えるか、ってことかな、と思う。

 

 

 

 

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と、偉そうに書いていますが、

夏休みもそれ以降もうちの娘たちが一番熱心にやっているのは

 

くちぶえのれんしゅう

 

 

です。

今は、少し、飽きているようですが、まだまだ します。

 

今ではこんなものも

不完全ながら 吹けるようになりましたが

吹奏楽 宝島

 

 

…これが吹けるようになるのって、そーとーヒマだった、ってことだよね

外遊び、不十分なり、ですね。