先日、ストーリーテリングについてのお話をききました。

講師は、30年くらい語りをやっておられて、

先生について勉強され、

再話(話を語るため、聞きやすくするために再

編集すること)まで

勉強された方。

ぱっと見は、普通の方です。

 

ストーリーテリング。

 

一言でいうと、語り、なんだけど、

お話を覚えて、語ることです。

字の書かれたものは一切使いません。

 

語り手の言葉はありません。

(語り手が自分の言葉をつかうわけではない、という意味)

書かれたものを暗記して語ります。

 

朗読とは違い、語る。

朗読は、きちんとしたリズムで、

聞き手が聞きやすいように、書いたものを読むのですが、

ストーリーテリングは語るのです。

言葉の表現の仕方が

朗読とは違うように思います。

語り手の感情も思いも、言葉の上に乗せられていきます。

聞き手はその感情も含めて、

物語を味わうのです。

 

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また、舞台の上に、自分一人しかいない、というところは

ストーリーテリングも一人芝居も同じですが、

一人芝居と違い、

ストーリーテリングは状況の説明(地の文)があります。

 

 

「語っていくうえ大事なのは、

どこにいても、どこに暮らしても、

自分の言葉で語ること。

またそれに誇りを持つこと。」

と、講師の方がおっしゃっていました。

また、土地ことばの大切さも強調されていました。

 

ここに至る経緯なども話されていたのですが、

物語を語るうえで、一回、共通語で語ることを

かなり深いところまで勉強され、

その結果、土地ことばで話すことの重要さに気づかれたとのこと。

 

 

『文章を読むのと

聞くのでは イメージが異なる』

『肉声をその人から聞き、その人の表情も見える。

語り手が(いて)語りかけてくる』

 

言葉はするっと読めますが、

その人の語りを知っていると、

自分の経験に裏打ちされた、

一人の人間の言葉が重みをもって、自分の中に入っていきます。

 

ストーリーテリングのお話なので、

昔話の話法、だとか、話の展開の特徴だとか、

そういったこともうかがうことができました。

 

どんぐり的には、

「イメージしやすい話の展開の仕方」

などは、とっても参考になりました。

 

また、時代、年代、人物の特定がない

昔話の場合、

聞き手の経験の質や量を問わず、

自由に聞くことで、

聞き手の感性を育てていくことができるかなとも思いました。

 

 

また、昔話は時に残酷です。

それも、教育では昔話を取り入れにくい要素の一つとなっていますが

残酷さは必要かもしれないと思うようになりました。

昔話に限らず、

大勢を相手にした教育の場合、

教える内容を吟味する過程で

必要悪として切られてしまうこともままあります。

実際はその切られてしまう部分が大事だったりもするのです。

このことは、意図的に、新しい人に伝えていく必要があるのではないかと思いました。

 

例えば、グリム童話の場合、何回も改訂を重ねています。

決定稿が出るまでに7回ほどの改訂が行われています。確か。

(記憶が間違いでありませんように)

その中で、いまの「よい子のグリム童話」というものが完成したのですが、

民族的な色彩の強かった、初版の話とはだいぶ違っています。

どちらがいい、というのではなくて、

対象とする人が違うと、こんな風になるよ、という

一例だと思います。

 

また、ハッピーエンドがすべてではない、と

おっしゃっておられたので、そこは、深く同意して帰ってきました。

 

だって、お話だもん

先人のメッセージが ハッピーエンドは素晴らしい、

だけじゃ、ちょっと、違うような気がするんだよね。

生活の中で、子孫に伝えたいものが

ものがたりの形をとるんだと思っているので、

ハッピーエンドばかりのお話ばかりじゃないと思うのですよ。

日本に伝わっている、妖怪の話、残酷な話、

そんなものを聞いていると、

先人の姿が垣間見えるような気がするんですよね。

果てしない思い込み、かもしれませんが。

 

残酷さ、だけでいうと、昔話は、リアルなものがあまりないのです。

描写をしないんだそうです。

ここが小説とは違うところで、小さい人が聞いても

大丈夫な仕組みになっているんだと思います。

実体がない、説明もない、

ものがたりの「平面性」というのだと教えていただきました。

 

いうなれば、物語は平面、たいらなのだそうです。

線上で おはなしが展開されるというか、

一定の枠のなかで展開されるかんじ。

そこにはリアルさはなく、淡々と語られていきます。

社会性などの父性的なものが

語りという作業、言葉の母性にくるまれていくのが、

ストーリーテリングなのかな、と感じました。

 

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絵本や紙芝居、言葉を文化にしたものはたくさんありますが、

語りというものも、違った言葉の文学ということを

再確認できたのはよかったです。

 

ストーリーテリングを聞くのは、慣れないと難しいのですが、

その理由も少し、分かったような気がしました。

 

覚えるのは、とても大変です。

覚えるのは「孤独な作業」だ、と、言っておられました。

でも、覚えている人は、ほんとにたくさん、

それこそ、100以上覚えているんですよね。

人間の不思議さを垣間見たような気がします。