(1)に続いて(2)ですよ・・・

だんだん自分の文章の作成能力に疑問を感じてまいりましたが、

もう少しお付き合いくださいね。

 

(1)では、佐藤優氏の考える<テレビの害>をまとめました。

やはり、鋭い見解をしておられると思います。

 

ちょっと斜めな意見になってしまうんですが、まとめながら感じたことを書きます。

テレビの害、子どもの質の変化なんて、何年も前から研究者が指摘してきたことです。

それと同じように、経済的なことの見解も昔とさほど変わらない。

シングルマザー、シングルファーザーが経済的にしんどいのも昔から。

昔に比べれば幾分マシになったといいますが、焼け石に水の状況です。

シングル親の絶対数が多くなったことで、いろいろ言われるようになったものの、必要な支援がきちんと届いていないような感じがします。

ここに、日本の行政、子どもを取り巻く教育の

てぬるさ!

縦割り行政の弊害!

も感じてしまいます。

いうなれば、前例あっての仕事というか。

変化に対応できない体制というか。

 

一つの現象をあちこちで保存してるだけで、

まとまってみていない気がするんです。

そのため、無駄が出やすい。

税金を投入するなら、無駄がないように、

全体を把握する部署があってもいいような気がするんです。

 

 

話がそれました。教養についての考察に戻ろうと思います。

 

 

佐藤優氏は大変な読書家で、思想家、実践家でいらっしゃいます。

ですので、この本の中でたくさんの書籍が紹介されています。

後ろのほうにまとめて紹介してあるページがあるんですが、

4ページ、73タイトルの本が紹介されています。

 

 

・・・数え間違えでなければ。チーン

 

 

その中には絵本の紹介もあります。

最近は絵本文化がとても豊かになって来たのですが

佐藤氏の守備範囲としては外れるので、

ご存じなくても仕方ないと思います。

個人的な願いですが、初期の教育の一環として、

絵本の文化にぜひ、触れていただきたいと思います。

 

 

教養をつける、

他人の世界観を知る、

ということについては、読書ができるのは

とても強い武器になります。

でも、その、教養の定義があいまいです。

 

佐藤氏の場合、読書で培った力をもとにして、

書く力、聞く力、話す力、と子どもの力を伸ばしていけるように、と話されています。

そして、この

読む力、書く力、聞く力、話す力、

それこそが教養(の力)だと定義されておられます。

 

総合力としては、書く力に代表されるんだけども、

その基礎としては、聞く力、読む力に集約される。

だから、ここを鍛えるべきだ、ということなんです。

 

 

が。

 

 

 

ここがお話にならん位、落ちていたらどうするのよ、ってことなんですよね。

( ̄∇ ̄+)

 

 

。゚(T^T)゚。

 

 

 

 

教養っていうと、なんか、ムツカシイ感じがしますが

よく考えたら、社会人として必要不可欠な力。

でも、その力がすごく落ちているような気がするんですよね。

 

例えば、空気を読むことはできていても、

確認するという力、習慣がなくて、

的確な仕事ができなかったり。

メールやツイッターはできても、

絵文字を多用する文章しか書けなかったり。

絵文字はビジネス文書には不要です。

感情を伝えるのに、絵文字は向いていますし、

かわいくて楽しいですが、

正式な場、言葉のやり取りをしなくてはならない場には

要りません。

 

 

 

楽しいこと、好きなことでも

文化として楽しむ範囲で止めておく、

やるべきことをきちんとやる、というのも、

大人としての矜持だと思います。

難しいことですが、

子どもそのお手本を示せるようになるといいですね。

子どもはそこから学ぶのですから。

きちんと働く、

働きながら、好きなことをする、

仕事に必要なことを勉強する、

そんなことが

子どもにとっての有形無形の財産になっていくと思うからです。

 

 

 

 

…どうしよう、さらに続いちゃいそうだわ。

ごめんなさいーーー