覚書になります。

 

 

これは、第2次世界大戦後に始まった、アメリカ・インディアンの

部族がたどった歴史をかいています。

書かれている視点は、「食生活が激変したことで起こった悲劇」

そして

「飽食によって引き起こされる生活と価値観の変化」

です。

 

ライフスタイルの変化は、私たちの暮らしを快適にしました。

同時に体を動かす時間も減り、今までと同じ量の食べ物を

たべなくても、身体は維持できるようになりました。

 

しかし、食べているものの量やカロリーは減りません。

カロリーに関しては、以前(第2次世界大戦前)より増えている。

それはなぜか、ということについて著者の見解が述べられています。

 

 

原因の一つは、アメリカインディアンの生活の変化があります。

コロンブスの「新世界発見」(1492年)以降、アメリカインディアンは

迫害と苦難の歴史を余儀なくされます。

それまでは、伝統的な食物を食べ、土地に従った暮らしを

していた彼らでしたが、住んでいた土地を追われていきます。

その間も虐殺、飢餓、天然痘などの疫病などにより、常に

しいたげられた生活を強いられてきました。

(でも、この時代は肥満で苦しむ人は、たぶんいなかったんです)

 

現在のアメリカインディアンは、569族の部族、それぞれの自治区、その他で

250万人が暮らしているといいます。

しかし、自治区離れが進んでいる現在、6割の人々は、都市部で

白人と同じような暮らしを営んでいるということです。

白人と同じようなライフスタイルで

白人と同じような食べ物で、

 

そして、白人よりもひどい状態で

生活習慣病や肥満と闘っています。

 

2001年の統計では、アメリカインディアンの

肥満率      男性40.1%  女性37.7%

ちなみに 日本の2016年の統計では、

肥満率      男性27.8%  女性20.5%  でした。

 

また、糖尿病発症率も高く、55歳以上では、罹患率が33%にも上るそうです。

糖尿病発症の若年化も問題視されています。

 

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ここまでを振り返ってみると・・・

なんだか、私たちの身の回りにも起こりそうだなあ、なんて

思ってしまうのです。

 

それは、民族的にアメリカインディアンが日本人と近い、

ということも関係しているのかもしれません。

遺伝子的にも近いそうですし、文化的にも共通することがありそうです。

 

 

また、農耕が衰えると時期を同じくして、食べ物を買って

生活するようになったことも、日本人と共通することだと思います。

勿論、食べ物を作る人はいるのですが、

食べ物と食卓の距離が離れすぎていて、

いのちを食している、という実感がないままに食事をしている、

という感じがしてしまうのです。

 

昭和の半ばごろまでは、日本でも、どこでできた食べ物か

わかる、誰が作っていたかわかる、

そんな食材を食べていることがほとんどでした。

アメリカインディアンの人々もそうだったのではないかと思います。

というか、

流通がさほど発達せず、新鮮な食材の保存が難しかった時代では

それは普通のこと。

それが劇変したのは、保存できる食べ物が大量に作られ、

流通網によって、家庭まで容易に入り込むようになってからです。

時期的には、1960年代以降のことではないでしょうか。

 

日本はこの時期でも伝統的な和食を食べている人が多かった?

為か、この時期は(!)肥満率の上昇はあまり目立ちません。

アメリカインディアンの人たちは、第2次世界大戦の軍役などを通して、

砂糖と脂肪に触れることが多くなった様です。

このことも、脂肪率が上昇する遠因となっています。

決定的なのは、部族に与えられた食糧配給制度です。

米軍の過剰備蓄食料を配布される形で始まりました。

1970年代に「貧困層向けの福祉政策」と概念を変え

現在まで続いています。

 

 

アメリカインディアンの人々は、もともと住んでいた土地から離れ、

民族がもともと持っていた食習慣からも離され

大量の脂肪と砂糖と(果糖)にかこまれた生活を送ることを余儀なくされます。

こうなったのは当時の政府の政策のためです。

本人たちが望んだわけではないのに。

そして、このような状態は期せずして、忍耐実験、じゃなくて、

人体実験!

にもなりました。その間も彼らは、内臓疾患や糖尿病、合併症で苦しみ、

中には、亡くなった方もいらしたようです。

そんなことは、決して望んでなかったのに。

 

 

人間は、民族にあった食事があるのだなあ、と思います。

そして、高脂肪高カロリーの生活は、体に負担をかけること、

脳の欲望は体の状態と一致しないこと、

 

 

 

 

コーンシロップ入りの飲み物は太る、だけじゃなくて、

身体にも負担をかけるかもしれないこと、

 

サイズが大きくなると、どうしても余分に食べてしまうこと、

(なんか、ここんとこは心当たり、ある・・・)

 

社会が過度に??都市化しているのも

脳の孤独感、心の空白感を産むことになる、ということかなあ、

 

この孤独感と「仲がいい」のが、

人間が依存できる食品。

アルコールなどはその尤もたるものです。

 

アメリカインディアンの人たちのアルコール依存症は

相当なものになると予想できます。

そして、それとそっくり同じ形で

日本でも各種依存症が拡がっていくことも、予想されるわけです。

この辺りは、矯正 

あ、違った、行政だ。

が、もっと啓もう活動などに力を入れていただきたい、

また、役所同士の横のつながりなども強めていただきたい

そんなことも思います。

 

 

 

 

行ってみれば、実感を伴わない「空白感」「一人かもしれない感」

を埋めるために、モノで埋めているのが、

現代人の一側面なのかもしれないなあ、とも

感じます。

かつてない快適な空間が比較的簡単に手に入る時代が

かえって、たとえようもない空虚感をんでいるのかもしれないですね。

それを抑えるのではなく、

また、肥大させることなく付き合っていくのが、

現代人の宿命なのかもしれません。

 

 

 

★書いているうちに、なんだか収拾がつかなくなってきたので、

ここでやめます。

読んでいるうちに、大事にされていないアメリカンインディアンの方たちが

切なくなってきました。

でも、日本でも同じ状態なんですよね。

セーフティーネットがちゃんと機能してなくて

いつまでたっても物理的な貧困から抜けられない、

しかも、そこへは容易に落ちて、這い上がれない、

そんな話はゴロゴロしています。

国民全員に「文化的な最低限度の生活が、保障されて」いない、

そんな気がするのです。

「教育を受ける権利」の大切さはひしひしと感じていますが、

その「大切な権利の行使」がちゃんとしていない気も、とても、するのです。