前記事はこちら。

http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12258966896

 

 

前記事の最後で、

 

 

 

 

そして、今の子どもたちは、

その、思考の檻にとらわれている状態で

成長するように、

仕向けられていると思う

 

と書きましたが、

ここに、近年の学力低下のカギ、

子どもの自己肯定感の低下のカギがあると思っています。

 

 

今の子どもたちも、生まれたときは昔と同じ赤ちゃんです。

環境は、かなり違っていると思いますが。

少子化で、表面的には昔よりは手厚い保護を受けている。

現代日本に限って言えば、医療の発達などで

感染症などで死亡する子どもはだいぶ減ったように思います。

だから、今の子は昔の子より幸せだ、

そんな風に言うのは、一部の大人の一方的な思い込みかもしれません。

 

 

なぜなら、

今の子どもは、目に見えない、細かい枠がたくさんあって、

それに抵触してしまうと、

もっと強い枠で狂されて

矯正されてしまうから(だと思っている)、です。

子どもの成長を大きな流れで見てくれる、

そんな大人が減ってしまったからです。

絶滅したわけではないのが救いですが、

絶滅危惧種に近い存在かもしれません。

まあ、昔の子どもに近い状態で育っている子どもも

ほぼ、絶滅危惧種状態なので、

ここの数のつり合いはとれているかもしれないですね。

 

 

自分も含めて、現代の私たちは

生活と学びや仕事が乖離した状態で生活している人が多くなっています。

特に、子ども、特に小学生の学びについては

生活感覚から離れてしまっている事が多いように感じています。

そのため、

「知っているコトがエラい」

「早く何でも出来るようになったほうがイイ」

ということになりがちなのではないでしょうか。

子どものペースはその子次第なのに、

大人のペースに合わせなくてはならないことで

「ハヤク」と

「デキタ、デキル」

にしか、関心が向かなくなるのではないでしょうか。

そしてその結果、

「昔の環境で育つ子ども」はいなくなり、

常にいらいらした、

大人が小さくなったようなカンジの子どもがぐっと増えるのだと思います。

 

実際、常に貧乏ゆすりをしている小学生、

異性が自分をどう評価するか、にしか関心がない小学生、

ゲームから離れたとたん、目が死んでしまう小学生、

そんなのが至る所にいる、目につく現状では

本気で、この先が、(もっと言えば、私たちが生活していく社会も)

心配です。

だって脳がそこでしか、活発に活動しないんだもん。

経過をすっ飛ばして、結果にしか関心がないんだもん。

どうしてこうなった(経過)、ということに関心が持てないんだもん。

一瞬一瞬で結果を出さなきゃいけないような生活を送っているんだもん、

そりゃ、疲れますって。

 

んで、脳が疲れていたら、そして、回復手段もなかったら、

身体もおかしくなる。

おかしい体のままで体を酷使したら、

身体と頭が別々に暴走することになる・・・

 

 

 

それじゃいかんと、思うんですよ。

 

 

 

頭をクリアにするには

からだをきちんと使うこと。

どう動かしたら、どうなるかを体得すること。

 

身体をきちんと使うには、

どう動かしたらどのように動くかを意識すること。

そして

思い通りに動かせるように、ある程度の練習を積むこと

 

 

そうすると、身体と頭の働きがうまくかみあって

新しい境地に行ける!・・・と思う・・・

 

 


それは、これに詳しいようなんですが、未読です。

(気力があれば、アップしたいです)

 

 

 

 

子どもが吸収力がいっぱいの状態で生まれてくること、

自分で進化することで、また違ったものの見方ができること

 

だから、世の中が変わっていくんだなあ、

子どもが生まれることは 本当に意味があるんなだなあ

そんなことを感じます。

 

 

 

だから

頭と体をうまくかみ合わせるには、

 

 

余計なことをさせない、

 

 

具体的には

身体と頭の発達を邪魔しない

身体が不要なものを食べさせない、使わない、

身体を使うことを嫌がらない

脳に同じ刺激、不要な刺激を与えない

 

 

そして、子どもが子どもでいる時期に子どもであることを見守ること

大人へと進化したらちゃんと大人として扱うこと、

 

が、大切かと思います。

身体と頭が成熟した大人にならないと、

世の中はうまく回らないから。

 

大人の縮小版の子どもがあふれていても

つまんないだけだと思うんですよね。

 

つまんないことを感じないようにするには

どうしたらいいか。

 

 

ーーー 一つの答えとしては自分の中の時を感じること

無限の空間を感じること。

調和と融合を意識すること。

 

 

頭の中には、宇宙がある。

体の中にも、宇宙がある。

細胞分裂の中にも宇宙と歴史がある。

当たり前が積み重なって、奇跡となる。

奇跡の連続が、歴史。

 

 

調和と融合。

それは古代の昔から、人が捜し求めていたもの。

陽と陰が完全に調和した姿を追い求めたように、

今でも、私たちが目指すもの。

そして、

そこに到達すると、また違うものの見方ができるもの。

 

恋愛でもない、

友情でもない、

各々が体の中で確かめることができる、時の流れ。

 

 

 

 

自分でも、感じたいから、

もっと、精進しないと。

 

 

子どもって、その答えを内包して生まれてくるんだから、

すごいよねーーー!

と、思ってしまいました。

だから、大人がつぶしたら、いかんじゃん、

ルールは守らなくてはいけないけれど、

型にはめなくてもいいやん、

との思いを強くするのです。

 

 

 

 

★長い記事ですみません。

最近の陰惨な事件を見るたびに、

何かが違ってしまった、との感がぬぐえなかったのです。

興味が一方向にしか向かないのがとても残念でした。

余計な刺激を与えなかったら、もっと違う方向に伸びていったんではないかとも、

人との違うつながりができたのではないか、とも、

思います

そんなこんな、思いが重なって

記事にしたのですが、

書いていて、どんぐり倶楽部の考え方を

そっくりそのままなぞっているような感じがして、

愕然としました。

最後のほうは

「糸山先生、すごいなあ、」

それだけを意識しながら、記事を書いていました。

 

このことを自分の子どもたちだけじゃなくて

他の人にもわかっていただけたらいいのに、

つらい子どもを見ることが減るのに、

なんて思ったのも事実です。

 

どうか、子どもたちがどの子も自分の力で

歩いていけますように。

自分の信じることのために 力を尽くせますように。

自分とも、周りとも、母なる大地とも

いい関係を築けますように。

そう、願っています。