前記事はこちら。

 

http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12257504295

 

 

環境を整えてやれば、ある程度同じ発達はのぞめる、

とは書きましたが、そこに至るまでの、個々の状態も違うし、

持って生まれた因子も違うので、

個人差レベルで違いが出てきます。

 

また世代間での違いもあります。

生まれた時代ごとに持っているカラー、気質というか、

空気感というか、

一言では言い表しにくいのですが、一種の素質ですね。

そんなものが関係してくることがあると思います。

また、国の経済状況や気候なども関係してくる場合もあります。

が、

 

そういった大きな要素、小さな要素をひっくるめても、

人間は発達しながら進化していくと思っています。

 

言い方を変えると、人間には

気候、経済状況に左右されないくらい、強い意志で

変化する強い意志がある、ということです。

無意識下に刷り込まれているのかもしれません。

 

 

ただ、変化を望んでいても、

刺激のより強いほうに引っ張られていきやすいので、

刺激の与え方や量は、

気を付けたほうがいいと思っています。

 

 

 

例えば、味覚は甘いものに強い反応を示します。

それは、胎児のころから。

人間が本質的に甘いものを好むという性質を持っているという

証でもあります。

 

 

しかし、その刺激に人間はあっという間に

慣れていきます。

そして、より強い刺激を求めていきます。

甘味(砂糖)に限らず、精製油脂をはじめ、

高度に加工された食品全体に及んでいきます。

 

 

 

この時、脳の中ではどうなっているのかと

考えたことがあります。

脳科学者でも何でもありませんが、

精製された食品を摂った時の反応から考えてみたいのです。

 

植物性動物性を問わず、

脂肪を極端に制限した後の揚げ物のおいしさ。

食べたときに頭の中で何かのシャワーが開くのがわかりました。

頭の中で

「おいしい、うまい!」

の、ファンファーレが鳴っているのがわかりました。

マンガみたいな表現がぴったりくることもあるんだなあ、と

自覚した瞬間でした。

 

 

 

また、夏の暑い日に飲む、

よく冷えた炭酸飲料のおいしさ。

「適度に」甘く、おいしく感じられ、

一息でかなりの量を飲み干してしまいます。

この刺激の後では、

ぬるい水など、飲みたくない人が大勢いるでしょう。

 

 

 

ところが、その強い刺激に

私たち、そして、脳はあっという間に慣れていきます。

同等の刺激では満足できなくなっていくのです。

 

このことから

脳は刺激に対して貪欲である、

より強い刺激を求めている、と思うようになりました。

 

そして、刺激を求めている間は

そこしか考えられないのではないかと思うようになったのです。

いわば、脳の暴走です。

 

これに対して、脳以外の身体は

身体各部からの刺激に対しても対応します。

身体を動かす、ということは

脳の意識、制御を体を動かす方向にもっていく、ということです。

脳の暴走は、止まります。

脳本来の働きをすることになります。

脳と体の動きはつながれ、新しい楽しみができます。

刺激の方向が変わり、

脳は感覚の深化だけを楽しむことに

没頭できなくなります。

脳の刺激を求める方向性が、多方面に向かう、と

言い換えてもいいのかもしれません。

 

 

味覚で言えば、

甘味だけでなく、

様々な味、苦みや痺れるような感覚の味、様々な辛さを

感じられるようになってきている状態かと思います。

 

その時、脳サイドではきっと、

新しいこと(刺激)に対するわくわく感でいっぱいなんじゃないか、

なんて思うんです。

だって、人間って、新しいものが大好きだから。

つまり、人間の脳は変化に富む刺激は大好き、ということです。

 

 

こんな脳が、

同じ刺激だけしか与えられなくなったら、どうなるのか。

 

 

 

そんな風に考えたことがあります。

 

 

答えは簡単です。

飽きるんです。

毎日毎日同じことをしていると、やりたくなくなります。

同じものを食べていると、食欲をなくします。

同じ運動ばかりしていると、手を抜き始めます。

(逆にここを乗り越えていかないと、運動のプロにはなれない、

並みの根性ではプロになれないのは、当然です)

 

 

 

 

そして、同じことばかりしていると、だんだん

脳もそれ以外のことには反応できなくなるのです。

体の機能がそうなっているのだから、当然なんですが、

思考も空回りし、

そのパターン以外のものは

見えなくなっていくのです。

 

 

 

 

そして、今の子どもたちは、

その、思考の檻にとらわれている状態で

成長するように、

仕向けられていると思うのは、

穿ちすぎた考え方でしょうか。

続きます。