一応、読みました。

読後感のもやもやが、残りました。

 

 

 

おおたとしまささんは、教育系の記事を書いていらっしゃる方で、

いろいろ著作もおありです。

これは、

アマゾンで評価が高い!

と、広告に書かれていたので、

読んでみました。

 

 

現役東大生、

東大生のママ、

公文関係者。

いろんな方にインタビューをされていました。

 

 

 

 

 

で、思ったんですが、

 

 

 

 

できる子、キャパの広い子は、

何をやっていても、やっていなくても

自分の好きな世界に跳んでいく

その手段の一つとして大学進学があるに過ぎない

 

ーーーーなんていう、

身もフタもない感想に、なってしまいました。

 

ただ、公文の内情が、また違った視点で書かれていて、

それは面白かったです。

 

 

公文生第一号、公文 毅さんのこととか、

子どもの学力を伸ばすために

公氏が心を砕いていらっしゃったこととかを知り、

新鮮な驚きでした。

 

 

そして、ここでも、人の真摯な思いに触れて、

変わっていく  人の姿 を見ることができて、

新たな発見がありました。

 

 

人が変わるのは、

他の人の真摯な思いを受け止めたときだけ、という、

確信に似た思いをまた、強くしました。

 

 

 

本文中にもあるんだけど、

 

子どもをよくしたいと思ったら、

親が一生懸命になるしかないのよね。

離れていても、

すれ違いでも、

 

 

~あなたを見ているよ、

あなたのことを 私に伝えてね~

というメッセージを親の側から発信すること。

それを踏まえたうえで、

学習法を親子で選べばいいんだ、

そんなことを思います。

親の一方的な思いを押し付けないこと、

学習だけにとらわれない、全人的な育ちへの願い、となると

選べる選択肢は限られてくると思いますが。

 

 

 

 

公文式に関しては、

子どもの保護者が

「計算力に特化した」学習法

であること、

「文章力の力、はつかないことがあること」

「高校での数学の学習範囲で、

代数分野はまだしも、幾何分野は全く身についていない場合があること」

を踏まえたうえで、利用すべき。

また、

短期間でやめさせる選択肢も視野に入れておくべき、

で、「覚悟」の上、子どもにやらせるべきだと思いました。

 

 

その家庭ごとで教育方針は違うので、

(公文式を)やらせないのもアリ。

ちなみにうちは、やらせていません。

今後もやらせる予定はありません。

 

やらせなくても、

イモ子もイモ美も

ある程度正確な計算力はついているし、

数の概念も、年齢相当にはついているので、

今のまま、行く予定です。

何より、したいことがたくさんあって、

力尽きるまでじぶんの好きに時間を使える 今の状態が、

娘たちにはあっているような気がするからです。

 

 

 

 

 

 

 

自分の時間と向き合って、

自分がしたいコトのために、

準備をし、努力ができる子になってほしいから、

「どんぐり倶楽部」のどんぐり問題を選択しています。

 

 

 

 

…とは言うものの、

イモ子にはちょっと不安があるんだよね。

 

今朝も、顔を洗ったあと、

眼鏡を上下逆にはめてしまい

「おっかしー!逆にしちゃった!」

なんて大笑いしているし。

しかも、それを鏡で確認して、また笑っている・・・。

 

 

先日は靴下にあいた穴を広げて喜んでたねえ。

「指が出てるー!」

とか言って。(ヤメテ イタダキタイ・・・ガーン

 

 

天真爛漫、といえば聞こえはいいけど、

時と場合を選んだほうがいいような気がする、よ?

 

 

 

 

 

 

★今回、初めて知りましたが、

公文公さんと、毅さん、

パタパタって、お亡くなりになっているんですね。

カリスマ性が強かった、父親を

息子としては、どう見ていらっしゃたのか、

聞いてみたかった気がしました。

 

創始者と、第一号生徒が

相次いで亡くなったことで、

公文式は今のようになったと思うのです。

大規模な組織化に伴って、何かが・・・

変わってしまったのかもしれません。

 

世界でもかなり知られている

学習法の一つだと思いますが、

我が子に合うかどうか

考えて選択したらいいと思います。