最近、考えていることを書きます。

うまく書けないかもしれませんが、頑張ってみようと思います。

 

 

  参考にした本は、これです。

 

 

女性とキャリア、プライベートの充実は 両立できるか、という問題。

どちらも大事で、どちらも私につながるもの。




 

 

社会の中で必要とされる仕事があるのはとてもありがたいこと。

仕事をするうえで 充足感があったり、結果がきちんと出せたりすることは、

満足できることだと思う。

それに 金銭的な成功がついてこれば、これはもう、とても、素晴らしいこと。

 

 

その反面、子どもを産む機会があるのは、女の人だけ。

産めばいい、という風潮に対して、

微かな嫌悪感を持っている。

案ずるより産むがやすし、

という、諺に、冷ややかなものを感じても、

いる。


子どもの可能性や不思議さ、

自分とのつながり、

違いを愉しめる余裕がないのに、

子どもとともには暮らせないと

思っているからだ。

新生児にできるのは、

刺激や知識のインプットばかりだと

思うのは、

ヒト扱いしていないと思うからだ。

新生児はあっという間に、大きくなる。

そして、自分の意思を通そうとする、

子どもに進化?神化?する。




この、子どもという存在は  まず、思い通りにならない。

そのことは、世の中の人はわかっている。

一人じゃダメなことがたくさんあるのもわかっている。

子どもを持ったことがある人はね。

(でも、その意見がうまく、世の中を回っていないような気がしますが。)

 

子どもを育てるには、お金も、人手も要る。

子どもを産んで、育てるには、今の自分には、十分な環境ではない。

女のひとがそう思ってしまうから、産めない。

だから、出生率が下がってきているのだと思うのだけど。

仕事に没頭したい時は、家庭や家族のことは、

どこか遠くになるものだから、

産めない、産む選択をしたくない女性が

増えても当然。

あるいは、産むためにいろんなことをセーブする

人がふえても当然。

 

 

 

 

仕事は大事。

仕事をしていなかったら、生活費にも事欠いてしまうだろう。

子どもを産んだら、産みっぱなし、というわけにはいかない。

ご飯を食べさせ、世話をし、話しかけ、無事に大きくなるように祈る。

 

子どもは、そんな親の背中を見て育つ。

 

 

生活や仕事がいっぱいいっぱいで なかなか手が回らないのが正直なところだろう。

普通の親ならね。

でも、よくしたもので

子どもはだんだん自分一人で大きくなる。

親が自分にかけてくれた愛情をもとに、食べ物を消化して

勝手に大きくなっていく。

この間、子どもはとても大きなものを吸収していると思うんだけど、
あまり、目立たない。


大人の側からは見えにくいところで

精神が肥育していく。

子供の成長って、割と早くて、

花開きかけると、もう、止まらない。

ただ、表現が  大人と子供では違っていることが多い(ような気がする)ので、

子どもはいつもあらぬ方向に走って行っているような気がするけど、

 

子どもは、自分の興味の向いている方向には

いつも真っ直ぐ。

迷いなく、伸びていく。

だから、子どもがどっちを向いているか、

親はそれを確認するだけで、子どもの持っている才能に気づくことができる。

親が気にかけてくれるだけで、子どもは

安心し、更に走って行く。

(ときには、そのスピードに追いつけない位、

疾く走る)

 

 

 

だから、面白いと思うのだけど。

 

 

だけど、ここへ来るまでに

親は十分の時間も技術も持っていないことが多いし、

忙しい現実や  日常ののわずらわしさが

目を曇らせてしまうことも多いので、

子どもが自分で敷いたレールに気づかなくて、

脱線させてしまうことも多い。

 

 

だから、子育てが大変、しんどい、もうしたくない、と

考える人が増えたんじゃないかな。

 

 

子どもは 親とは別人格。

そして、子どもと一緒にいられる時間には限りがある。

 

 

このことがわかれば、

もっと、子どもを育てることが楽しめるのに。

そして、必要なことか、そうじゃないかがわかるのに。

(そして、優先順位もおのずから決まると思うのに)

 

 

あと。

 

育児のストレスを仕事で解消して、仕事のストレスを育児で、

なんてきれいごとだと思う。

 

 

仕事は手抜きなくやらなくてはならないし、

育児は120%やって、初めて認められる、

それが、今の時代に求められる女性の在り方だと思うからだ。

 

一応、建前はそんなふうになってないと思うけれど、

そう実感している

 

 

 

 

人が持っているエネルギーはそれぞれ違うし、

注力できる方向はそれぞれ違っているので、

別に違っていても不安がる必要はないと思うのだけど、

自分から縛られに行きたがる。

モデルケースと常に比較し、

いつも何かしらの感情を自分に対して抱く。

 

 

 

 

仕事は大事。生活を支えていくことは、半端な覚悟ではできないこと。

育児も大事。自分じゃない誰かの成長に対する責任を負うこと。

 

 

 

今の社会で生きていくには、

自分という個人に向かい合って

いくことが必要だと思うのだけど、

そこが、うまく機能していない気がする。

 

だから、迷って、同じ所をぐるぐるしてしまうのかも。

 

 

 

仕事でも結果を出して

子育ても単年度決算でj結果を出して、

 

 

なんて、無理。アセアセアセアセアセアセ

 

 

それに、子どもは産んだら勝手に育つわけじゃなくて、

いつくしんで、

教え諭して

見守って、

やらせてみて、

小さな失敗をさせて、

将来に響かないくらいの小さなケガも必要ならさせて、

 

 

自分でやってみるということを

信頼できる大人のもとで

納得できるまでやってこそ、

 

 

 

次代の力になる  にんげん   が育つんだけど。

 

 

 

 

今のところ、そんな余裕は  与えられていない。

親にも、子にも、地域にも。

 

 

 

人が育つ流れ、

人が人になる過程は 50年や100年では変わらない。

体の機能が変わらないように。

 

 

 

今一度、考え直す時期に、来ていると思います。

男性、女性の働き方だけではなく、

生きていく、そのことについて 

基本に立ち返って 考え直す時期が。

 

人間として、生きていくために、

すべきことは何か、について。

 

 

 

 

 

 

★3か月くらい考えて、

書いたり消したりして、

書いた文章が、これですかーーーーーガーン

自分のお馬鹿さ加減に 改めて気がついて、

愕然とします。

 

イモ子とイモ美が お馬鹿なのも、

きっと、私に似たのね。

ごめんよお。

最近、長女イモ子が

いろんな事を1人でするようになって

たのもしかったり、有り難かったり

嬉しかったり。

反面、アホな事をまだしていて

ちょっとどうかと思ったり。

子離れの時期を間違えないためにも

自分のコントロール、

していかないとね。