食事の支度。

家事の中で、何かと負担になるものではなかろうか。

経費のこと、使いまわしのこと、家族の好き嫌いのことなど

嫌になる要素なら、かなりありそうだ。

しかも、毎日しなくてはならないときている。

 

さらに、食べた後は、片付けまでついているというおまけつき!

( ゚д゚)ノシ サラバジャー

おなかがいっぱいになって、程よく、眠かったりすると、片づけがめんどくさいこと、

この上ない。

昨今は、食事を作った人と、片付ける人が違う、というおうちもあるようなので、

一概には言えないのだが、

食事の支度、片づけというのは、何かと気づまりな仕事に感じてしまう。

 

 

「家族の勝手でしょ」

著者は、同一のテーマで何冊か本を出しておられる。

内容は、首都圏のサンプル家庭の食事を1週間、写真で記録してもらったものをもとに

考察を加えてある。

もちろん、サンプルであるし、すべての家庭がこんな風であるわけではないのだが、

気になるのは

 

 

 

ほぼ母親が食事の支度をしている、ということ。

(えっ!そこかって?  ほかにもあるけどまずはココ)

 

今の日本の慣習、雇用形態では、そうなることが多いかとは思うのだけど、

食事の支度jは

一日(だいたい)複数回、人数分するので、家族の形態、状態にとっては

食事の支度が負担になることがままある。

別に家事は女性がしなくてはいけない、

ーーーことはないので、

男性

がしてもよさそうなものであるが、

男性が家事をするというおうちは、いまだ少数派ではないだろうか。

(余談ではあるが、以前、主夫・山田亮さんのお話を聞いたことがあるけれど、

とても面白かった。家事全般を楽しみ、効率的に家事育児をしておられた。

彼は普通の男性だったように思う。

つまり、男性も家事をこなせる、という一例である。

今も家事はされていることとは思うが、他にもお仕事をされている感じである。)

 

 

 

食事は、生活に欠かせないことであると同時に

楽しみであり、

時間と空間を共有する出来事である。

たかが食事、とも思うのだけど、

ここが荒れると、なんとなく家族の形態、内容が薄れていくように感じてしまうのは

気のせいだろうか。

食事の支度や片づけは正直、面倒だ。

そこを手を抜きたい、手をかけられないというのは、事実だし、

自分も手抜きをしている。

大体、ご飯とみそ汁の朝ごはんに

りんごの皮をむいて出しただけで

「アタシ、ちゃんとご飯の支度をしているわよ!」

なんていってたら、全世界の

                       ちゃんとした主婦の方々

から、つるし上げを喰らうであろう。

もちろん、子どもたちからも文句を言われるに違いない。

Y(>_<、)Y

 

 

食事の支度に限らず、家事というものはうちの中の誰かが

必ずやらなくてはならない仕事であるにもかかわらず、

評価がない(と思う)仕事ではないかと感じる。

やって当たり前、手を抜いたら文句を言われる仕事。

 

 

 

正直、

しんどいなあ、と思う。

手を抜いたら、すぐばれる、というのが、ちょっと、つらい。

また、自分が仕事をしたつもりになっていても、

周りからの認識が薄いのも、ちょっと、堪えるときがありそうだ。

へこんでいるときなんかね。

また、仕事をしたり、他に気になることがあったりすると、

食事の支度に手を抜きたくなってしまうのが人情だ。

(ソンナノ、アタシダケ?   (´□`。)   )

 

 

家事のすべてを手を抜かず、丁寧にする、というのは、

私たちが考えているより、大変なんだと思う。

一昔前のご婦人たちは、みんなしてたわけだから、スゴイコトだよね。

時代の流れもあるし、流れていく速さもあるので、

昔はよかった、は言いっこなし。

今の女性は、仕事をして、家事して、育児して、自分を保って、

初めて一人前!

として自己フレームが整うようになっている(ような気がする)ので、

(自分がすべきことと認識していることに対しての)手抜きをすると

自己嫌悪感がぬぐえないのかもしれない。

そんな状態で、終わりのない仕事に向かわなくてはならないのなら、

士気も下がろう、ってもんだ。

手抜きでいいや、で終わっても、何も思わなくなっていく、かもね。

 

 

 

生活をしているのは家族全員なんだし、

それに伴う雑務に関しては、家族全員で仕事を分け合ってもいいかと思うのだけど。

母親だけが、背負わなくてもいいかな、とは思う。

自分ができない仕事があって、家庭がうまく回らないのなら、

小分けして、みんなで片付けしたほうが、長い目で見れば、お得かもしれないし。

 

 

 

 

(…て書いていて、じぶんが実家にいたころは母に全部任せていたので、

あんまりエラそうなことはかけないのだけど。

オカアサン、ゴメンナサイ

後、家族のした家事に対しての不満を感じてしまう、ことも

🙇ゴメンナサイ。

仕事に対しての内容、手順、仕事のゴールなんかを教えてなくて

ごめんね・・・。仕事の意味ややり方がわからなかったら、できないよね。)

 

 

 

 

閑話休題。

食事は各家庭ごとで違うけど、

 

栄養が足りていればいいわけでもないし、

おなかが満ち足りていればいいわけでもない

 

 

財布とおなかに相談しながら

負担をかけすぎず

度に満足でき、

心の喜びもあればサイコー、ってとこでしょうか。

全部を満たすことは、難しいことだけど、

毎日で、完全に、で、なければ、なんとかなりそうな気がするんだけど。

 

 

 

 

今は、食事の形態が、家庭ごとにひどく違ってきているように思う。

それもここ、数十年の間に。

これと、日本人気質の変化とは、関連がありそうな気がする。

現に、生活習慣も、ライフスタイルも職業のあり方も、

かかる疾患に至るまで

ほんの少し前とは違ってきているわけであるから、

食事の形態くらい、違ってきて当たり前か とは思うけど。

(正確に言うと、食事の内容と、ライフスタイルが違ってきているから、

かかる疾患が違ってきている、のだろうけど、

逆説もアリかと思うので)

 

 

ただ、それが、自分たちの持っていた

良き伝統

まで変化させているとしたら、

今の自分に合った方法で 生活の見直しもしたほうがいい、

と思う。

「そんなのできないよ!」

じゃなくて、

「どうしたら、できるかなあ」

の視点がいる。

そうじゃなければ、変わらないから。

 

 

ある一定の範囲が変われば、加速度的に変わると思うので、

それを期待している。

・・・いい方向にかわると、いいな。