最近、ゆっくり考えることができていない気がするが、

記録として挙げておく。

 

 

著者の松永 暢史氏は家庭教師のプロ。

学生時代から家庭教師をやっていたそうだ。

 

 

この人の本はほかにも何冊か読んでいて、それらは割と柔らかい感じで

書かれていただけに、この本の激しさに、最初、ちょっと引いた。

 

「学校教育は機能していない。」

「それどころか、どんどん悪化している。」

…まさにそうなんですけど。

 

 

朝、子どもの通学時間に一緒に学校まで行くと、いろんなものが見える。

上の子のときは送っていかなかったのが悔やまれる。

本当は送っていってほしかったのを我慢していたのかもしれないけど。

今は、次女が送ってほしいようなので、都合がつくとき、

「気が向いたら」

送るようにしている。

もちろん、次女が嫌な時はついていかない。

 

 

 

子どもの中のストレスは年々増しているのではないだろうか。

まだ、手をかけてほしい時期なのに、様々な理由から

 

「頑張って、自分でやって」

と言われている子どもたち。もちろん、自分でできる子もいるけれど、

ちょっとの甘えも許されていない子もいる。

 

子どもが親にハグしてほしいのに、言えないのは、親にとっても、さみしい限りではないだろうか。

 

 

それとも、親の側が そこに時間をさけられないほどに、追い詰められている??

 

 

何に?

社会? 仕事?  人間関係?

ま、全部だろうけど、

子どもを産んでしまったら、子どものこともちょっとは考えないとね。

(全然考えてない人が言うのもなんですが)

iitakunaiga、 oyaha  umanai  toiu  senntakusi mo arunodakara.

 

 

人は、勝手に人になるのではないし、

人になるには それなりの時間と経験、大人の援助がいる。

それは、一人の人から断続的に与えられるわけではないし、

子どもが一人で探せるわけでもない。

「一人でやって」

と言われて 子どもが自分でできることなんて、たかが知れている。

 

だからダメなんだ、ではなく、

ゴール地点を明示して、

「どうする?」

と聞く余裕が必要だと思うけど、今のカチカチの、きちきちの子どもの時間では

その余裕は少ない。

それだけでも、私たちは

「子どもじゃない何か」

を、育てることになってしまっていないか。

 

 

 

著書の中で

「国語力の低下」

を強調しておられたけれど、これは

子どもの聴く力の低下

とつながっているような気がする。

生活形態が変わってきたことで、子どもに合わせて語る、ということも少なくなってきたと思う。

会話の内容が変わってきていると思うのだ。

 

 

 

うちはテレビの制限は割と早くから始めたけれど、

それでも、週3時間しか見せない、ということはなかった。

もっともっと、見せていた。

そのためか、次女の言葉の理解は長女に比べて遅かった。

次女のほうが早くからテレビを見ていたからね。それでも、表面的なことは出にくかった。

幼稚園では理解度に関して、問題になることは全くなかった。

家で読み聞かせをしているときに、言葉が砂のようにざらざらと流れていく感覚があっただけだ。

 

 

一対一で読み聞かせをしていくとき、

ちょっと気をつけていれば、

子どもの言葉の吸収スピードが速いか遅いか

くらいはわかると思うんだけど、どうなんだろう。

3歳児検診で言葉の遅れを指摘されても、その遅れを取り戻すのはとても大変なのに。

 

 

 

 

 

 

「テレビに子守をさせないで」

 

 


この本は一番最初の版が世に出たのが1976年なので、かなり古い。

また、今の見解と違っていることもある(と思う)

けれど、テレビをはじめとするメディアに早くから接してきた子が何らかの形で

その発育を阻害されているケースはよく見かけると思う。

このころから

「早くからメディア漬けにしないで」

といわれていても現実はあまり変わっていない。

ざっと30年以上、変わらない。同じことを言い続けても変わっていない、この現実。

 

 

そんな中で、変わらない、学校というシステム。

 

 

 

子どもは変化してきている。

学校は変わらない。

だったら、システムが腐敗しても、おかしくないんじゃないかな、と、思うのだ。

流れる水は腐らないけれど、よどんだ水は、腐っていく。

それと同じように。

 

時を戻すことは難しい。ていうか、不可能だよね。

でも、子どもに用意してあげられる環境は、整えることができる。

それは、時代に関係ないから。

だから、できることをしなくては、と思うのだ。

子どもの時間は限られている。それを思うと、チリチリした感覚がいつもある。

穏やかに、性急に、力強く、しなやかに、

変わって、いきたい。