先日読破したので、感想を記録しておく。

「0歳児保育」は国を滅ぼす/網谷 由香利
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著者は臨床心理士のようです。

お仕事の中では きちんとクライアントに向かい合っている感じがしました。
著書を一読した感じだけなので、また、違う面もあるのかとは思いますが。




「0歳児保育は国を亡ぼす」

ショッキングなタイトルです。

「小さい人を抱えて働かなきゃあかんのよ!

保育園がなきゃ、働けないし!」



ごもっとも。

子どもを持つ女性が働く上で、

子どもたちが安全に、いい環境で過ごす、ということをきちんと保証する、

というのは基本中の基本。

そうじゃなきゃ、心配で働けない人たちが 町の中であふれちゃう!


母と呼ばれる人たちにとって、子どもは多くの場合、特別な存在。



だって、長い間、おなかの中で赤ちゃんを大きくして

痛い思いをして産んで(自然分娩でも 帝王切開でも、痛いから!)

眠いのこらえてミルクをあげたり、おっぱいあげたりして、

(新生児の時期に関してはミルクも母乳もしんどいと思う)

ようやく、一か月検診。

そこで

「異常なし」

といわれるまでは、心配なママも多いはず。




ところが、

赤ちゃんがやっと、ちょっと大きくなったところで



職場復帰!



だもん。産休だけだと。

育休が取れるところも今は増えてきたけど、

育休を取るにも、すごーーーーい、しんどい戦いがあるので、

育休を取る、という選択肢を選ばない人もいるんじゃないかと思う。

反対に選択できない人もいる。




親がどんな状態であろうが、子どもは大きくなっていく。

放っておくわけにはいかないから、

もちろん、保育園や乳児院などの施設はいる。



ただ、今までのようなわけにはいかないのが、現代の子育てではなかろうか。




昔と違うことが、たくさんある。

家族形態のちがい、

男性女性を問わず、仕事量の違い、

同じく、仕事の質の違い。

細かいことから、大きなことまで、

それこそ、数えきれないくらい、違っている。



「昔はよかった」

それを言うのは、ナンセンス。

いまさら、昔に戻ることもできないし、

時間は待ってくれない。

もちろん、子どもの成長も。

だから、具体的に、今の環境の中で何ができるか、

を考えたほうが  建設的だと思うのだ。





保育園が必要とされているのはわかる。

ただ、行政や施設のトップが考えているより

子どもや赤ちゃん、

小さい人たちは


おとなのあたたかい  視線や想い、差し伸べてくれる手


を必要としているように思う。

そういう視点で考えると、現行の施設、サポート体制では

無理がある。

現場は大抵、どこも、

子どもに携わってくれる人たちが

頑張って、頑張って、出来る限りのことをしてくれていると思う。

でも、子どもの側に

「思い残し」

があるとすれば、今一度、現行の制度や体制を見直す時期に来ているのではないだろうか。



著者はこの本の中で

「小さいt黄から 保育園に預けられていたけれど、とてもつらかった」

「抱きしめてほしかった時期に 自分が思っているような相手をしてもらえなかった」

ことに対する

ある想いがある人たちのことを書いている。

確かに幼い時のことははっきり覚えていないことが多いが、

それは、意識がある範囲の場合であって、

自分の意識に登らないことについては(注意を向けることができないわけだから)

正確に認識できない。

ただ、違和感  は感じることはできるので、

それが何か わからないままで 引きずってしまいそうな気がする。

正確に認知していないのであるから、違うほうに行ってしまい

迷路の中で迷った感じがしたり、

なにをしても コレチガウ…的な
感じを持っていたりすることも、あるかと思う。
ただ、わからない何か、に引きずられるのは疲れるし、自分もあれていくので、

適度なところでやめられるといいのだが、

根柢のところで感情のあり方がゆがんでいると、

ちょっと、困ったことになりやしないか、と思うのだけど。





働くことは、大事だし、尊いことだ。

人間が働く以上、世代交代の時期が来る。

今まではそれなりに 、、来ていたが、

これからもそうなるとは限らない。



仕事を円滑に回すには、次世代の育成は必須事項なはずなんだけど

子どもを健全に育てる、という視点から見ると

次世代(のヒト)を育てる

ような環境には なっていないような気がする。



0歳児保育に限らず、それ以降も、学童期も

もっと大きくなってからも、



おとなの適切な援助  が受けられる、

支える手がある、

そんなところが、あるといいな、と思う。

(著者は 本の中で 

「子どもに対して 決まった人が適切なケアができるなら、

男性でも女性でも問わない」

との意味の文を書いていらっしゃいます。

それには、激しく同意。

…もし、私が意味を取り違えていたら、申し訳ありません  🙇)




子どもが十分に

愛情あるケアを受けていたら、

そして

そのまま大きくなっていくことができたら

思い残しのある人たちが

ちょっとでも減るように思うのだ。


いいかえれば、

特定の人からの愛情に執着しなくても、

自分は自分でいられるのではなかろうか。





 

(どんぐり理念はこの辺りに、すごく近づいているような気がしています。

が!

もちろん、私は、遠く及びません。

o(;△;)o

一歩近づいて、遥か彼方、遠くに去る、ってな感じです。)