どんな時も~身体表現性障害/線維筋痛症から立ち直ったブログ~

どんな時も~身体表現性障害/線維筋痛症から立ち直ったブログ~

2012年に身体表現性障害(疼痛性障害)、線維筋痛症を発症
現在の痛みは1割程度
共存しながら、幸せな日々を送っています。
過去のこともたまに振り返りつつ、ありのままの現在の私を綴っていきます。

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こちらが初代のプラスノート



他にも何冊かあるのですが、最初から最後まで1冊丸々使い切ったのはこのノートだけです。



体調が良くなると段々サボりがちになって書かなくなるんですよ



でも、それでいいと思います。
自分が書きたいと思った時、必要だと思った時に書けば。



最初のページ
これでも字汚いんですが、段々誤字脱字殴り書きになっていきます。



初代ノートを書き始めたのは2014年頃
まだ大量の薬に頼り、旦那と離れて実家で療養していましたが、激痛と鬱で寝たきり状態から脱し、少しずつ運動療法を取り入れられるようになったくらいだったと思います。




書かれていることは旦那と母のことばかりです。



でも、心はまだまだ暗闇の中にいました。



1冊分使い切ったのは、その頃それだけ私が救いを求めていたからです。



このノートを書いてる時だけは不思議と穏やかな気持ちになれました。



激痛で動けない日も
耳鳴りで頭がおかしくなりそうな日も
心が不安定な日も
一日中泣き腫らした日も
母や旦那に当たり散らした日も
死にたくなった日も
自殺しようと夜の海に行った日も



…余談ですが、夜の海って果てしない真っ暗闇に飲み込まれそうな感覚になるんで、自殺したい気持ちよりも得体の知れない恐怖心が勝って、結局自殺できなくなるんですよ。



それが分かってからは本気で自殺したい衝動に駆られるとよく夜の海に行きました。
















空いたスペースには「絶対治る」「大丈夫」自分へのエールをいたるページに書いていました。



このノートの中にマイナスな言葉は一言も見当たりません。



…ノートの中だけはですけどね。



現実は「痛い」「辛い」「助けて」「死にたい」泣きながらそんなことばかりいつも口にしてました。



辛い時は決まって長文。
神や仏に縋りたくなる時もありました。
もう旦那の名前塗りつぶすのめんどうなのでそのまま笑



当時の私は20代前半
結婚はしていましたが、まだ精神的に子供でした。
だからこそ病気になって、絶望が大きかった。



死ぬまであと何年この痛みに苦しまなきゃいけないの?



旦那とはもう一緒に暮らせないんだ



こんなんじゃ赤ちゃんなんて無理だ



幸せな未来なんてこれっぽっちも想像できませんでした。



そんな中で、一日のうちに強制的でもいいから必ずプラスのことを考える時間を作ろうと思って、始めたのがこのプラスノートでした。



寝る前睡眠導入剤を飲んだ後布団の中で書くのが日課でしたが、その日一日マイナスな感情に支配された日でも、一日の最後はプラスな感情で終われるんです。



人間は睡眠中に記憶を脳に定着させるそうです。



これでマイナスな感情はプラスな感情に上書きされたことにしちゃいます。



ノートを始めて2ヶ月後約1年ぶりに旦那とまた暮らせるまでに回復した時



このノートの一番最後。体調も良くなってきてたから、かなりテキトーになってます。
そして、材料誤字ってる笑



1冊目は1248個の"プラス"が書かれていました。



わざわざノートに書かなくても、一日のうち一瞬でもいいからプラスのことや周りの人に対する感謝を考える時間を作ることが大事だと私は思います。
それ以外がマイナス一色だったとしても



一瞬でも無理な日は「今日はお休みして、また元気な時にやろう」って思えばいい。
と言うか、それすらもプラスな考え方ですから





長い闘病の中で私が効果があったと思っているのは、



*今回紹介したプラスノート
*できる範囲での運動療法
*カウンセリング
*今どうすることも、解決できない痛みや不安に意識がいったら、一旦蓋をして楽しいことを考える、する



医者や薬頼りで他人任せの治療だけでは限界があります。



治るという気持ちを持ち続けて、自分自身でもできることを続けたからこそ、今の私がいると思っています。



それにしても誤字脱字、字の汚さは酷い〜笑い泣き