オリンピックというものを初めて知ったのは、メルボルンオリンピック。
ローマの時はテレビがあったと思うが、実況じゃなかった。
1964年の東京五輪は、三波春夫が東京五輪音頭を歌ってもちろん実況中継。
初めて見る競技に興奮した。
興奮したのは、レスリング・フリースタイルと棒高跳び。
興奮するとすぐに真似する。レスリングは家の畳の上でやった。
畳が擦り切れようが、昔の親はぶつくさ言わない。
もっとも、レスリングの前にさんざん相撲をやって、畳は擦り切れていたと思う。
次に棒高跳び。延々と勝負がつかなかった競技を見て感動した3少年、弟と隣のシゲ、と私は、さっそく棒高跳びをするべく行動開始。3日後くらいには棒高跳びの設備を作り上げた。
面倒なので片側しか描かないけど、こんなのを作った。
高さは2.2mくらい。
それ以上高いものを作っても。棒高跳びに使う棒にそんな長いものがないので、これで十分。
バーの高さは、釘をたくさん打って調整できるようにした。
高跳びに使う棒(ポール)はグラスファイバーなんて当然あるわけがないので、木。
あまり長いと折れる恐れもある。安全には考慮し。それでも2mくらいの丈夫そうなものを見つけてきた。
今考えると、ポールに限らず、この材料をどこで調達したんだろう。
まったく思い出せない。
でも、昔は探せばこんな材料が手に入ったのだ。 ホームセンターなんて気の利いたものがない時代に、、、
たぶん、「オジサン、これちょうだい」と言って、「なにに使うんだ?持ってっていいよ」くらいの感じで入手したんだろうと思う。
当時子供のバイタリティには我ながら感心する。
前に書いたが、当時の大人はちょいちょいとどこからか持ってきた材料で、立派な物置ぐらい作ってしまったが、子供だってたくましかったのだ。
今ならアマゾンで探して購入するのかな? 寂しい限りだ。