(。・ω・)ノ゙ コンチャ
本日第二弾ですwイヤ〜長いの書きにくっ( ゚∀゚)・∵ブハッ!!
では続きを( ・ω・)っドウゾ
美濃に本拠を移した頃、彼がやって来ます…
足利義昭( ー`дー´)キリッ
室町幕府最後の将軍…またの名をお手紙公方w
お手紙公方はオタクが勝手に呼んでるだけですけど(*´・ω・)...ン??
実兄の義輝が三好・松永に弑逆されて、次はお前だ(☆´ิ罒´ิ)ニヤ
となっていた所を助け出され朝倉家へ身を寄せていた義昭が
麿を将軍にして欲しいでおじゃる(๑° ꒳ °๑)と言ったかどうかはわかりませんがw
織田家を頼ってやって来ます。
大義名分を手に入れた信長さん、上洛作戦開始じゃщ(゚д゚щ)ゴラー!
となり、作戦開始から1ヶ月程度で上洛しちゃいます!
織田家がでかくなるにつれて秀吉さんも出世街道まっしぐら♪
上洛後には丹羽長秀 明智光秀と共に京都で政務を担当します。
戦国時代なんで平和な日常って無いんですよね〜w
傀儡将軍になりたく無い義昭さんお手紙公方の本領発揮( • ̀ω•́ )☆
元亀元年(1570)4月信長さんの言う事聞かない朝倉討伐!
が…浅井の裏切り?により、挟撃の窮地へ…
逃げる?死ぬ?……イヤ逃げろよ( '-' )ノ)`-' )ベシッ
で信長さん必死で逃げるんですけどw
ここで殿軍を引き受けたのか押し付けられたのかσ( ̄∇ ̄;)
秀吉さんとあの明智光秀ですw
明智のみっちゃんとどうにかこうにか殿軍をこなし、生きて帰ってこれました、二人とも(*´∀`)ヾ(・ω・*) エライエライ
浅井・朝倉にしてやられた信長さん絶賛ブチギレ中です。
三河のあいつを呼んで6月には姉川でドンパチやります(▼∀▼*)
姉川で借りを返す結果にはなりましたが、三河のアイツがいないとどうなってたんでしょう?w
この頃の織田家、第一次信長包囲網と言われるように
お手紙公方のおかげで周りは敵だらけですw
8月には三好三人衆が摂津で挙兵、本願寺もからんで
大阪の野田・福島でドンパチ…時を同じく浅井・朝倉が近江坂本へ
信長さんだいぶピンチですが…どっちも片付ける離れ業w
一旦休むために色んな所と和睦します、正親町天皇から勅命貰ったりとかイロイロ使って、とりあえず謝りますw
ちなみに秀吉さん姉川後に対浅井の前線基地の横山城に出張します。城主では無く、この時は城番という扱いだったのです。
ここで対浅井の調略などを進めていきます。
第二次信長包囲網に甲斐の虎参戦(_ ・A・)_バァンッ!!
戦国最強とも言われる信玄の参戦です!!!
この間に比叡山の焼き討ちとか…伊勢で一向宗とドンパチとか
イロイロやってるんですけどね😅
窮地を脱したと思ったら、またまた窮地がΣ(゚Д゚;)ナンデ?
信玄も駿河進攻からと遠江、三河と進軍して来ます!
三河のアイツも三方ヶ原の戦いで負けるし…
マジでヤバイんじゃね?となりますが
そこはもってる信長さん( -`ω-)✧ドヤッ
信玄の急死でまたまた窮地を脱します!
浅井・朝倉討伐に本腰を入れれるようになったので
討伐開始じゃщ(゚д゚щ)ゴラー!となります( ー̀ωー́ )ウム
浅井・朝倉討伐戦で秀吉さん大活躍します( ✧Д✧) キラーン
小谷城の戦いでは開戦前には降伏の使者になり、合戦では
小谷城京極丸を落とす活躍です。
この辺もいつか深堀りしたいかな…
今はスルーしますw
この活躍が評価されたのか天正元年(1573)、浅井家滅亡後
北近江3群を与えられ遂に城主になります!
( /川\ )
\/┏┻┓\
。゛#┃お┃゛
゛,。┃め┃#。
。゜#┃で┃゛。
,*。┃と┃゜。
#゜。┃う┃゜*
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今浜を長浜に改名し、統治しながら羽柴家の最重要案件である人材確保にも勤しみます。
後の豊臣政権を支える事になる若者達が仕官します。
大谷吉継 石田三成 親戚筋からも福島正則 加藤清正などなど
秀吉さんの出自が武士ではないので、譜代の家臣がいないのが
他の武将との大きな違いでしょう…
ここでの人材確保が後々の天下統一に繋がる事になります。
城主になってからもバリバリ働きます( *´꒳`*)੭⁾⁾
天正2年(1574)には筑前守に任官され
天正3年(1575)には長篠の戦いに従軍。
順調に城主ライフを満喫中です( ,,-` 。´-)ホォー
天正5年(1577)ここでやらかしますw
北陸方面司令官柴田勝家の救援を命じられますが…
司令官の勝家と手取川を越えるか越えないかで作戦での対立
の末、勝手に兵を引き連れ撤退という暴挙に出ます。
勝っつぁんはその後…盛大に負けますl||l(›ଳдଳ‹)l||l
もちろん信長さん激おこです💢
もう秀吉( ・ᴗ・ )ᶠᶸᶜᵏᵧₒᵤ🔪ぐらいの勢いですよ(((´・ω・`)))ガクブル
秀吉さん命の危険を察知…謹慎の後、半兵衛の一計で毎日どんちゃん騒ぎ(*´▽`)ノ🍶カンパーイ
やっぱり秀吉さんも持ってる!大和で松永謀反Σ(゚∀゚ノ)ノ
信忠の指揮下で戦功を上げ、北陸の失敗は無かった事に…
松永討伐後、対毛利として中国地方攻略の司令官になり
播磨の国人や有力者である赤松則房・別所長治・小寺政職らを従え早々に播磨の主要な所?を抑えます。
当時 小寺政職の配下だった小寺孝高(黒田官兵衛)から姫路城を譲り受け中国攻めの拠点にします。
この頃から官兵衛は秀吉さんの軍師的な役割を担うようになり、
後に両仁兵衛と言われるようになりますが…
二人が揃ってたのは播磨攻めの短期間だったので実際どうだったんでしょうね〜( ゚∀゚)アハハハハハ
順調に播磨攻めを進めていましたが…
天正6年(1578)3月別所長治、三木城にて一旦降ったほとんどの勢力を巻き込み反旗を翻します!ウッソーン!!Σ(;゚ω゚ノ)ノ
播州武士恐るべし…
これに呼応して4月毛利も尼子残党の居る上月城を攻めます…
秀吉さん救援に向かいますが7月に信長さんの命令で撤退し
上月城も落城チ━━( ꒪⌓꒪)━━ン・・・
9月には宇喜多を調略し味方に引き入れたんですが…
荒木村重、有岡城にて謀反!
このタイミングでの謀反って、もうカオスです( ゚∀゚)アハハハハハ
村重と旧知だった官兵衛を使者に送りますが…
官兵衛が帰ってこない(*´・ω・)...ン??
信長さん、またまた激おこですよ(n꒪꒳꒪n)怒
人質の松寿丸を殺せとお達しが…
半兵衛が匿ってとりあえず松寿丸は無事ですがε-(´∀`*)ホッ
天正7年(1579)村重も徹底抗戦で1年も毛利や本願寺の支援を受けながら戦いますが…遂に終わりを迎えます。
諸説ありますが、ネタ的に一番いいので…
家族、家臣を残し茶道具をもって落城前に逃げ出します∑(ºロºlll)
大事な事なのでもう一回言います諸説あります!
落城した有岡城の土牢から救い出された官兵衛を泣いて喜んで生きててよかった( *ˊᵕˋ)ノˊᵕˋ*)ヨシヨシ~としたとかしないとかw
何にせよ、有岡城は落ち村重の一族、家臣は磔などの見せしめで酷い殺され方をしたそうな(-∧-)合掌・・・
天正8年(1580)村重より前から頑張って戦っていた別所長治にも終わりの時が…2年にも及ぶ籠城戦の末、別所長治は兵の命と引き換えに自刃します、村重は逃げましたが長治は責任を取りました(´-ω-)ウム この戦いのあり方から後年、三木干殺しと言われます。
天正9年(1581)6月 鳥取城攻略に前年に降伏していましたが…
ここでも毛利の手が|ω・*)チラ
降伏した城主の山名豊国を家臣が追い出し、同年3月には毛利から吉川経家が派遣されていました。
ここでも兵糧攻めが行われ、城主の吉川経家が城兵の命と交換条件で9月に自刃します。
この戦いも鳥取の渇(かつ)え殺しと言われるようになります。
対毛利作戦も、三木城攻略以降そこそこ順調に進んでいるかと
思われますが…
天正10年(1582)ついにこの年になってしまいましたか…
って事で今日はここまでw
いやー長かったです、読まれる方もしんどいかもしれませんが…
今日は呑むぞ!(‘ω’)アサヒィ↓スゥパァ↑ドゥルァァァァイ↓wwwww
ではこれにて(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”

