目下、ピアジェに関する本ばかり読んでいるものの、並行して五、六冊他のものも読んでいます。今日はその中からレポートのために再読した本を紹介。なかなか読む時間を持てない忙しいみなさんのために、二箇所を引用しました。
どんぐり方式に興味を持たれた方には、どうしてわざわざ引用したのか、ご理解頂けると思います。つまり、子どもの発達を正しく理解せずに急かすことは、得にも幸福にも繋がらないということです。

『さくらんぼ坊やの世界
ー乳幼児の育ちゆくみちすじー』
山崎定人 斎藤公子 労働旬報社 1983

p52
さくらんぼ保育園では、年長児にも一切、文字指導は行いません。一面、たいへん勇気のいる決断とは思いますが、幼児期の文字指導は子どもの発達を促すどころか、発達を阻害するという事実に立ってのことです。家庭で文字指導を受けた子は、その影響を保育園の中ですぐに現します。表情は固くなり、遊びは小さく、描く絵にやたらと文字らしいものが出現します。子どもの脳裏から片時も文字のことが抜けていないことを示します。できてもやらせてはならない、一つの例といえましょう。
文字指導を受けずに入学したアヤちゃんを受け持った担任の先生は、文字を書けないアヤちゃんを異常に思い、両親に障害児学級に移ることをすすめたそうです。両親はさくらんぼ保育園のことを先生にお話し、先生はしばらく様子をみることにしました。
アヤちゃんは保育園時代に、側転を克服するだけの意志と体力を身につけ、長時間お話を聞いて、その物語を絵に描く集中力と表現力を身につけています。こうした力を備えていたアヤちゃんが、初めて文字にふれて学習を始めると、その伸び方は担任の先生を驚かせました。
一年生の二学期ともなると、保育園時代に培った遊び上手さを発揮してクラスの人気者になり、学力も伸びてクラスのリーダーにもなりました。アヤちゃんの急速な成長ぶりの秘密を知りたいと、担任の先生がさくらんぼ保育園を訪ねられたことを、私は斎藤先生に聞いてアヤちゃんの入学後のことを知りました。
幼児期に身につけさせてあげるべき力とはなにかを、シゲノちゃんの跳び箱とアヤちゃんの側転を通して、若いお父さんとお母さんにしっかりとみつめてほしいと思うのです。

p57
発達に応じた自由を子どもに与えるということは、親の都合を優先させていたのでは、なかなかできることではありません。子育ては親育ち、といわれる由縁はここいらにもありそうです。
さくらんぼ保育園の園庭には高さ六メートルほどの土山があります。関東平野の起伏のない敷地に、百万円近いお金を投入して土山を作った保育者の英知に、私は敬服します。子どもの発達保障を、最優先する保育思想に感心します。
では、一歳児時代のアリサちゃんにとって、山がどんな役割を果たしたかをみてみましょう。一歳二ヶ月のアリサちゃんは、ある日、山を這い登り始めました。すでに歩くことはできましたが、斜面を歩き登ることはできない段階の時点です。

(中略)
アリサちゃんは何度もすべり落ち、膝と肘をすりむきながら、登り切りました。頂上をきわめたアリサちゃんは、ご機嫌で、保母さんのまねをして歌をうたいました。山を登り切った快感と自信が、その日以降、アリサちゃんに自分からすすんで山に登る意志と力をうえつけました。
(中略)
山を降りるときに、私は一つの発見をしました。一歳二ヶ月のアリサちゃんは、腹ばいになって、足の方から山をずりおって行くのです。下り斜面に前向きに腰を降ろして、お尻をすって足から降りることはできないのです。
これは最近の出来事ですが、一歳半ぐらいの全く歩行の確立した子を連れて、お母さんがさくらんぼ保育園に見学に来ていました。そのお母さんは子どもに、土山を歩いて降りることを要求しているのです。子どもは恐怖にかられて泣き、足はすくんで動けません。それでも母は子に、斜面を歩いて降りろと要求するのです。
私はこの様子を見ていて、「親の無知は、子どもの発達を歪める」と実感したのです。
子どもの発達を保障するためには、発達のみちすじを知らなければなりません。平地を歩けるからといって、斜面を歩き降りることはできないのです。すべり台で、前向きにすべるのを怖がる子を前向きにすべらせようとする情景を見かけますが、これも同じ類いのことといえましょう。