夜明けの祈り | 思えば遠くに来たもんだ


 先日観た映画。

 良かったです。
 重く、静かで、全篇薄暗く、修道院の清貧を通り越した貧乏さとか(舞台である教会がまたなんとも言え無い寂れた感を出している)抑圧感とか映像で表現しきってました。

 第二次大戦中、ヨーロッパでは働く女性はさほど稀有な存在ではなかったのでしょうか。でも主人公のマチルドみたいに女医さんってすくなかったと思います。
 なので、わたしはまずマチルド目線で物語を追いかけてました。
 マチルドは信念をもって医学を志した、けれど女性がゆえに思うように働けない。そこへ自分を必要とする修道女達が現れる。つまり、仕事におけるやり甲斐、動機付け。

 大戦中の多くの人々が日々なにを思い暮らしていたか真実はわかりませんが、およそ今とはかけ離れ、今日生き抜くこと明日生きていることを基準に現実を直視する日々だったのだろうなあと想像します。
 現実の個人の気持ちとか、不満とか何処にも吐き出せす、吐き出す以前に考えることすら蓋をする。なんせ3秒後に突然起こることに臨機応変に対応しないといけないんですからじっくり物を考える時間なんてそうそう持てないのではないか。

 日々仕事や自分の立場に嫌気が差している自分にとって、何故自分である必要があるのか?何のメリットがあるのか?これで良いのか?(よくねーよ)青臭い気持ちにこの年でもなるのでそんな事を感じた出だしでした。

 しかし、マチルドはどちらかというと現実主義者でクール。世の中を客観視している。それは当時世の中において自分を壊さないためのガードかもしれない。使命ではなく役目を果たすために生きる。使命何て持ったら生きていけない。
 だから、彼女がこっそり事を遂行する事にさほどのスリル感も無く悪びれ感も悲壮感も無い。彼女にとってはそれが役目だから。やれるだけのことはやる。それ以上は出来ないの割り切り。 

 この映画には二人主人公がおりまして、もう一人がシスターマリア。
 映画に出てくる修道女たち役者さんはほぼ素に近いメイクを施しているのであろうけど、だからシスターマリアは色が付いた世界(映画で語られる尼さんに成る前のモテ時代)では美しかったんだろうなあと想像できます。彼女がだんだんフェールメールの絵画から抜け出して来たの如く見えました。

 テーマである信仰。これは個人の問題でもあるので触れませんが、遠藤周作の沈黙同様、物言わぬ神に修道女たちもまた24時間の疑問を抱いている。(沈黙。映画観なかったな。観たら観たで立ち直れなくなりそうやもんな)

 物語の引き金となった蛮行はそりゃもう悲惨で赦されるものではないがそこは描かれておらず、悪人が出る頻度をことごとく抑えた創りは、監督、カメラマン共にフランス女性である事の品位でしょうか。