散歩は朝派?夜派?

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散歩には朝夕行っています
朝はついで歩きということで
ゴミ出しついでに歩いてきてしまうというもの
目標は8000歩です
 
以前歩いた中山道歩き旅の記事書いています
情報が古いのでお気を付けください
 
行田に向かって歩いています
 
途中石仏が残されているくらいです
たんたんとした道が続きます
吹上で線路を越えて荒川沿いに出ます
 
荒川土手に上がります
 
荒川土手に上がって見てびっくり
広い
向こう側の土手が見えない
川幅日本一を実感しました
河川敷の中には田んぼや畑まで存在しています
 
土手上の道は中山道だ~~~~
たまに車は通りますがこれぞ中山道!
自然がいっぱい
風は強く帽子が吹き飛ばされそうになりますが気持ちの良い道
 
このあたりは荒川河口から70.8Km
今日は行田の忍城を見に行く予定なので途中で土手を降ります
 
土手を下りて5分ほどでJR行田駅に着きます
行田駅です
観光案内所に行き忍城への行き方を聞くとバスが出てしまったとのこと
聞くと無料のレンタサイクルが有るというのでお借りして忍城に向かいます
 
忍城の近くには水城公園が有ります
木々が色づき夕日に映えてきれいな景色
 
水城公園を出て小学校の横を通って行くと関所の様な門
この門の先に忍城跡が有りました
 
ここから入城します
忍城の別名は忍の浮き城、亀城。埼玉県の旧跡に指定されていて関東七名城の一つ
忍城水攻めは日本三大水攻めの一つに数えられるています
 
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の関東平定の際、城主・成田氏長は小田原城にて籠城
従兄弟の成田長親を城代とし、家臣と農民ら3,000の兵が忍城に立てこもりました
 
豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成で、大谷吉継、長束正家らも加わって総勢2万の大軍
三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き
近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し
総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設
 
しかし忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる
開城となり、城側は大いに面目を施すことになりました
 
このことが、忍の浮き城という別名の由来となっています
 
現在は櫓の一部を再建していますがかなり規模が大きなものだったことが
郷土博物館の模型によりうかがい知ることができます
 
この時の様子は映画「のぼうの城」として描かれました
 
この行田市は足袋の町としても有名
 
江戸時代中ごろから盛んになったといわれ明治時代に
産業として発展し、昭和13年には最盛期を迎え、
8500万足を生産したということなので、
当時の人口を考えるとすごい数です
現在も当時をしのばせる足袋蔵が沢山残されています
 
路地にこんな木造建築が有りました
写真館のだったようですが今は使われていないみたいです
 
行田市内には「銅人形」が39基置かれています
赤田正由氏の作とのことです
 
いろいろ見て歩いていたら行田駅に着いたら再び暗くなってしまいました
秋の陽は釣瓶落としと言いますが暗くなるのが早いです
群馬県に近いこの地、空っ風が吹いて、駅のホームはものすごく寒かった
 
中山道歩き旅5日目
鴻巣~行田 32908歩