マヨネーズが必須の食べ物は?

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マヨネーズはカロリーが高そうなので
あまり摂らないようにしています
 
うるう年の2月29日が終わって
3月です
 
何にもしないうちにどんどんと月日が
経っていきます
 
昨日は深夜大変でした
高知のよさこい祭りのホテルを確保するための争奪戦
 
深夜12時を回ったときにネットで宿確保
何とか行ける段取りにはなりましたが
ホテル代がとんでもない金額で
4泊の予定を2泊に変更しようか考えています
 
まあ行けるようになって一安心ですけど
 
松本への湯治旅の記事が終わって
さあ何書きましょう
 
本当は松田山の河津桜の記事書きたかったのですが
天候不順なうえ
やはり今年の暖かさ
昨年より10日も早く咲いてしまって
行こうと思った時はもう散り始めてました
今年の桜は昨年よりさらに1週間くらい
早く咲きそうな気がします
 
桜旅の計画しないといけませんが
とりあえず
チョコッとお知らせしたように
以前歩いた中山道の記事を書いて行こうと思います
 
情報が古いのでお気を付けください
 
1日目、日本橋から新蓮沼
 
梅雨の合間の天気が良い日を選んで7月10日に中山道の旅をスタート
この日、湿度は低いのですが気温はぐんぐん上がり
30度を超える真夏日となってしまいました
 
JR新日本橋駅に到着したのは9時ちょうど
 
日本橋に出ると「東京市道路元標」が目に入ります
この下には「日本国道路元標」
でもこれはレプリカ
本物は日本橋の道路中央に埋まっています
 
橋を渡ると途中にはあの映画にも出てきた彫刻が鎮座しています
橋際を下りると日本橋が横側から眺めることができます
この橋の脇に昔の日本橋の擬宝珠が有ります
最後の将軍徳川慶喜の書と伝えられています
 
この日本橋は「お江戸日本橋七つ立ち・・・・」と歌われた
東海道こっちゃえ節で知られていますが
東海道の起点でもあると同時に、中山道の起点にもなっています
 
さあ、中山道に向かって出発です
 
銀座とは反対方向に向かいます
橋の脇には三越がどーんと建っています
このあたりには伊勢や近江、京都に本店を置く
豪商の江戸店(えどだな)が沢山置かれていたところです
その名残で三井越後屋が有り、今の三越になっています
 
その隣も三越、更に道路を挟んで三井住友信託銀行、
更に三井の高層ビルが並んで建っています
 
三井、三越グループの道路を挟んだ反対側にこの辺では珍しい古い建物が有ります
鰹節の大和屋
 
ここは「伊勢せきや」さん
中山道を進むとJR神田駅にぶつかります
 
神田駅の手前に「今川橋由来碑」が有りました
神田堀(別名、龍閑川)に架かっていた橋で中山道に通じる重要な橋だったとのこと
現在は下水となり埋め立てられて面影は全くありません
 
この先に神田駅のガードが見えてきます
ガードをくぐりまっすぐ行くと須田町の交差点
真っ直ぐに行く狭い道が中山道
 
この交差点に石造りの古そうな建物が有ります
千代田区の「景観まちづくり指定物件」になっています
かなり古いものなのでしょう
 
ここから10mほどの所を左に行くと昭和を偲ばせる料理屋さんが2軒有ります
あんこう鍋屋さん
しるこ屋さん
 
左手に神田郵便局を見て右JRのガードをくぐります
このガードは赤レンガ造り
開業当時のものでしょう
 
ガードをくぐると神田川に架けられた橋を渡ります
JR線の下は色々利用されています
東京側は神田川に映えてきれいです
ここは旧万世橋跡
ここに架かる橋は昌平橋
この橋は最初寛永年間に建てられたそうで、
当時は相生橋と呼ばれていたそうです
 
橋を渡り左折します
更に右折し左折して行くと左手に大きな石造りの塀が見えてきます
ここは「湯島聖堂」
ここは湯島聖堂の正門
 
聖堂は江戸時代、林羅山が上野に開いた私塾で、5代徳川綱吉が現在地に移し
幕府の「昌平坂学問所」になったもの
現在の建物は昭和10年に再建されたもの
ということは
関東大震災で焼けたんですかね
 
湯島聖堂の前に有るのが神田明神
鳥居の手前に有る甘酒屋さん
とても雰囲気が有って、今にも銭形平次が出てきそう
店前には道標らしきものも
立派な楼門ですね
 
ここの御祭神は大黒様、恵比寿様、それに平将門様
東京都心の総氏神様だそうです
ここの境内には「銭形平次の碑」も有るそうですが
見つけることは出来ませんでした
 
続きます