今日は頭髪の日

 

今のシャンプーは使い続けて何年?

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幸いなことにまだ頭髪は沢山あります

父も沢山ありましたので遺伝なのでしょうかね

 

仲本工事さんがお亡くなりになりました

横浜の信号のない横断禁止の道路

現場の写真見ましたが相当危ないところ

車が沢山通りますし

車を縫うように人が横断しています

高齢者の方は横断歩道まで迂回するのがしんどいのでしょう

でもこんな危険は犯してはダメですね

 

こんにちは

ドナです

 

関西城巡り記事書いています

2日目、赤穂城にいます

 

二の丸庭園を出て本丸に向かいます

見えているのは本丸門

赤穂城本丸には赤穂高校が有って、そのころは本丸門は有りませんでした

高校が移転して再建された本丸門

門を入ると枡形になってました

次の門のところに日本100名城スタンプが置かれていました

 

本丸内の様子

コンクリートで高くなっているところに本丸御殿が有ったようです

 

この赤いルートで歩いています

グリーン矢印が二の丸庭園

黄色矢印が本丸門で今ここにいます

 

本丸を右回りで歩きます

石垣の内側

土塁になっていました

この門は厩口門

ここは本丸庭園

二の丸庭園よりちょっと狭いですがきれいな庭園です

 

天守台にやってきました

天守閣は建てられなかったようです

一段が高い階段をえっちらおっちら登ってみました

これが天守台の上

何もありません

 

天守台の上から見た本丸御殿

 

天守台の上に赤穂城の沿革が書かれていました

 

赤穂城は1645年、常陸国笠間から53300石で入封した

浅野長直公が13年費やして完成した城です

建設当時は瀬戸内海に面していたと言われます

干潟門、水手門、舟入が設けられていた海城でした

 

元禄14年、江戸城松の廊下で藩主の浅野内匠頭長矩が

吉良上野介に切りかかった刃傷事件に端を発し

四十七士の吉良邸討ち入りに続いて行く忠臣蔵の舞台になった城です

 

浅野家お家断絶の後、永井家、森家の居城となりました

 

刎橋門(はねはしもん)にやってきました

出ることはできません

本丸を囲む堀が見えます

 

堀がまっすぐでないことがわかります

星形の城のように攻撃に変化を持たせた構造になっています

刎橋門から黄色のルートをたどります

 

天守台の横を通り抜け厩口門から外に出ます

外側から見た厩口門

かっこいいです

本丸門方面の石垣

これらの石垣は当時のまま

本丸門のところ以外は全て当時の石垣のままなんです

奥には東北隅櫓台が見えています

天守台方面石垣

堀幅も結構広いです

 

内堀を一周してみます

天守台付近の石垣

堀に青空が写って美しい

今いるのは二の丸ですが二の丸の構造も複雑

はい、こちらが二の丸東仕切り門のあったところ

 

先ほどいた刎橋門が見えてきました

ここが外から見た刎橋門

刎橋とはここに開閉式の刎ね橋が有ったことから名付けられたそうです

刎橋門からはこの赤のルートで歩きます

 

きれいな石垣です

算木積みもきれい
ここは隅櫓台
 
二の丸が続きます
 
白い塀が見えてきました
塀の向こうはさっき行った二の丸庭園
二の丸庭園に向かう仕切り門
 
再び二の丸庭園です
 
は~い
ここで赤穂城の攻城終了します
 
最後に赤穂城ご城印
 
日本100名城スタンプ